253話 小林団長の思い出  

 日常淡々日記度    ★ 
 お気楽エッセイ度   ★★★★ 
 ひたむきに伝えたい度 ★★
 筆者自身の心覚え度  ★  

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健康の話でも何でもないのですが、小林団長の思いでを書きます。

高校内に応援団を作ろうと思ったのは、4月に阪神対ヤクルトの中継をラジオで聞いていた時でした。今でこそ、トランペット軍団が選手別の応援歌を吹き鳴らして観客が合唱するというのは当たり前になっていますが、当時は広島のみがトランペット部隊を始めかけた、という程度で、タイガース応援団は「突撃ラッパ」は吹くものの、応援は三三七拍子や「わっしょい」が中心でした。

ヤクルト戦で、それもたった一本のみがひょろひょろと吹く「コンバットマーチ」をラジオで耳にした瞬間に「これを大人にやらせたらあかん。これは高校野球で全盛の曲や。これをやるなら高校生の手でやらなあかん」と胸に思いが込み上げたのでした。
翌日学校で、有志をつのり、即応援団は結成されたのでした。

小林団長のもと、月に何度も甲子園に通ううちに、旗ふりの許可を受け、さらにはリーダーの台の上にも上がらせてもらい、外野席の応援のリードも取らせてもらうこともありました。正規の応援団員ではないので、団のユニフォームはありませんので、たしか学ランに黄色はちまきにセンスで台の上をやらしてもらったと思います。台の上に上がる時だけユニフォームをお借りしたのかな?忘れました。

そうやって慣れ親しんだ数カ月後、高校の吹奏楽部有志を4名連れて巨人戦の応援に行きました。もともとやりたかった「高校生の吹奏楽で、甲子園でコンバットマーチで応援する」を実行するためです。今のように球場全体が一つのリードで統一されていたわけではなく、内外野アルプスと、それぞれの応援団がめいめいに応援するような形ではあったものの、手拍子中心の応援に時々突撃ラッパが加わるというその当時の「型」がありました。いきなり外野席応援団だけが、コンバットマーチを鳴り響かせるというのは、応援団同士の「つきあい」みたいなものもあるでしょうから、吹奏楽の演奏には、小林さんはなかなか許可をくれませんでした。
 ※245話以前のバックナンバーはミュート大阪健康道場の日記
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