275話 情けない銀歯の奥歯

銀歯をかぶせた奥歯が、親知らずに押されて外にはみ出していったという話の続きである。

本来、口の中、つまりほほの内側と歯の間にはほとん隙間がない。唇の裏側は常になまあたたかくしっとりと歯に密着している。すきまを開けようとすれば、ふくれっつらをする必要がある。つまり空気を注入してはじめてその間にすき間があくのが分かる。空気を入れないとあかないということは、つまり密着しているということである。

密着している所に一本だけ奥歯がはみ出ていくのである。奥歯とは歯なのである。ものを噛むために人体に存在する部分である。しかも奥歯=臼歯というのは「食べ物をすりつぶす働きがあります」などと遠い昔理科の時間に習った(ような気がする)とびきり丈夫な歯である。

口の中は粘膜である。唇、性器などがその粘膜仲間のようである。粘膜。粘る膜と書く。分厚い粘膜とはふつう言わない。「薄い」粘膜というのが常套句である。もし分厚い場合は膜とは書かず幕と書くであろう。粘幕。芝居のどんちょうがぬらぬら光っている様を想像してしまった。なんと気持ち悪い。

薄い膜だあるから、デリケートで敏感である。敏感であるからこそものを味わう口の中や、キスに使われる唇や、○○に使われる性器などにくっついているのであろう。

仮に唇がかかとのような分厚い皮膚におおわれていたら、誰もキスなどしないであろう。数々のラブストーリーの名画などは、そのクライマックスシーンに困るであろう。

性器がかかとのような分厚い鈍感な皮膚におおわれていたら、たちまち人類は滅亡するであろう。

ようするに、口の中の粘膜も敏感だよ、ということが言いたいだけである。

歯に密着している粘膜の方に、丈夫な臼歯がどんどんと押し出されていくのである。結果は、口の中がずたずたになっていく。ご飯を食べるつもりで口の中の粘膜を食べているのである。

その情けない親知らずに押し出された銀歯かぶせ奥歯は、私の口の中の粘膜をさんざんずたずたにした挙げ句、あっさりと外れてしまった。