294話 親バカ 1

黒銀学園(ごくせんの舞台になっている学校)の3年D組も、今日無事卒業したようだが、我が家の長男も昨日小学校を卒業した。

さて長男の小学校では、卒業証書授与式で昨年からの試みとして、校長先生から証書を受取った後で、会場に向き直り自分の夢を会場に向かって叫ぶ、という儀式が行なわれているそうだ。

「サッカー選手になりま〜っす」
「僕の夢は総理大臣になることでっす」
「Jリーガーになるぞ〜」

などと叫んで、壇上をおりるのである。

さてわが長男、

「お父さんのような立派な整体師になることで〜す」

と叫んで、壇上を後にした(そうである。私は卒業室には行けなかったので伝聞である)

この「カミングアウト」に対しては、拍手はしてはいけないことになっている。でないと、卒業証書を受取る生徒の名前の読み上げがスムーズでなくなり、進行が遅れるからであろうと推察できる。

その拍手のない粛々した卒業証書授与式で、長男の叫びが列席する父兄にある種の感動と波紋を呼び起こしたのかという情景が目に浮かぶ。

まず、成長期のかかりである6年生という年齢で、児童があからさまに父親への尊敬の念を表明する、ということである。

「立派な」というフレーズが、列席する特に父親たちの頭の中でエコーしたであろうことは予想に難くない。「りっぱ、りっぱ、りっぱ、りっぱ・・・・・」「お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、さん、さん、さん、さん・・・・・」

そして、その父親たちは、頭の中でわが子を思い浮かべ、このように衆人環視の中で父親への尊敬の念を表明しそうもないことに思い当たり、「この子の父親はいったいどのような父親なのであろうか?」と心にくさびを打ち込まれるのである。

そして、そのお父さんというのは「立派な」「整体師」である、ということが後に続く。

ここで心憎いのが整体師にかかる「立派な」という形容詞である。優れた整体師、上手な整体師、という表現ならもっと心へのおさまりは良く、おさまりがよいということは大してインパクトがないということである。

父兄お母さま方の頭には、「整体」という単語から「あ〜腰痛だ」「生理痛もなんとかならないかしら」「この片頭痛が」「うつっぽい気分が」「肩こりが」というような自らの身体不都合情報が一気に脳裏にあふれ出す。と同時に「立派とはどういうことなんだ」という納まりの悪さに対する「????????」があふれ出す。

つまり「頭痛、??肩?こり、腰痛???、体?調不??良、眠れ?ない???」

さてこういう謎の発言に対しては、情報を持っている人はこっそりしゃべりたくなるのである。そして、実際にそれら列席されている方の中には自宅で調整を受け、元気を取り戻された方があちらこちらちらりほらりと存在するのである。

そういう方は、思わずかたわらの人に自らの健康回復体験を小声でささやくであろう。しかし会場は拍手禁止である。某さんがささやく

「私がね、もう吐き気とめまいで、内臓の調子も悪くって、朝は起きられないし、ばててたのが、2〜3回受けたらね、すっかり元気になって、里帰りの時なんか車で帰ったら3日ぐらい寝込んでたのが年末なんかは、全然平気だったのよ」という声は、意外と広範囲に聞こえるのである。しかし、そこは「ささやき」なので

「私・ね、・う吐き気とめま・で、内臓・・・・悪くって、・・起きられないし、ばてて・・・ 、2〜・回受け・らね、・・・り元気になって、里・り・・時なんか車・・・・3日ぐらい寝込んでたのが年末な・かは、・・平気だったのよ」

というふうに耳に届いただろうことは容易に想像がつく。