302話 川の話 3

もしも「近畿日本ツーリスト」の社員のひとりが「歴史ブームだ。去年は新撰組もテレビでやっていた。便乗しよう」と<竜馬をしのぶ、伏見〜大阪 船の旅 / 屋形船で維新会席(かつおのたたきとサーチ料理)で舌鼓! 高知直送 竜馬せんべいと土佐の銘酒『司牡丹』のお土産付き>という企画を思い付いたとする。

しかし、この企画は実現しないのである。竜馬せんべいの発注も終り、司牡丹の仕入れのメドもつき、高知出身の行きつけの居酒屋の主人に料理の依頼が終っていたとしても、この社員の企画は実現しないのである。


なんとなれば、淀川は船が走れないからである。(部分的には可能)京都〜大阪の船便の定期便はない。不定期便もない。実は淀川は船舶は航行不能である。途中にある「堰」(せき=小さなダム)と、水深が約50センチしかない浅すぎる部分がある、という二つの理由で船は通れないのである。

しかるに我が愛艇はどうか?

水深は30センチ以下でも十分である。20センチでも浮かんでしまう。下手すれば10センチでも浮かぶ。5センチ以下なら、カヌーを引っ張って歩けばいい。(これはジョークではなく、カヌーの川旅とはほんとにそういうものなのだ)だからまったく大丈夫である。50センチというのはまったく何の問題もない。堰(ダム)の部分は、カヌーをかついで、川原を歩けばいいのである。(これもジョークではなく、カヌーの川旅とはほんとにそういうものなのだ)ノープロブレムである。

したがって、<竜馬をしのぶ、伏見〜大阪 船の旅>というのは、今の世では、ひとえにカヌー(かそれに準ずる簡易、軽量の船)にしか許されない旅なのである。そして、寺田屋の前からカヌーに乗り込み、淀川を下り、維新の昔にこの同じ水上を、坂本竜馬が、勝海舟が、西郷隆盛が、桂小五郎が、また新撰組の綿々が行き来したんだなあと感慨にふける。

いいなあ、楽しいなあ。

ということで、折り畳み式のカヌーを肩に、伏見へ。



などという話を書いていたら、ミュート会員で、K大大学院で合気道部の彩澤君から携帯にメールが来た。

「今、四国をちゃりんこで旅しています。京都から室戸岬まで16時間ほどこぎつづけましたが、ニコニコ(註 ミュートオリジナル ニコニコマッサージのこと。力みなく効率的な運動のできる体を育てる効果がある)のお陰かきわめて快調です!」

おお、土佐の巨人坂本竜馬の話を書いているところに、京の街から土佐を旅する青年からのメールである。さらにメールに写真が付いてあったのでそれも見る。おお、前かごのついたただのママチャリである。このママチャリで16時間漕ぎ続けるとは見事なものである。土曜日の朝の講座に出席の予定らしいので、おおいに労をねぎらいたいと思うのである。