305話 川の話 6

ということで、私の『初川下り』は、「伏見大阪・明治をしのぶ三十石船コース」であったのだった。

寺田屋前出発を断念した私が、寺田屋の南方にある淀川本流より下った訳だけれども、外環状線沿いになるそのあたりの淀川は、道路沿いの堤防に隔てられ、早い話川面さえ見えない状況だったのである。堤防の向こうは草の茂った斜面で河原さえなく、斜面には釣り人がつけたらしき細道があるかないか分からない程度。その斜面で苦労してカヌーを組み立てて出発。

川旅そのものは、水量も水勢も適度にあって、快適であったけれども、下っていて思ったのは、ほとんど川から街が見えないということ。

寺田屋の写真にあった、店の前はすぐに船着き場という百余年前の「川と人」の近さに比べて、単なる排水路兼、水源というだけの、人とのかかわりの非常に希薄な「現代の川事情」というようなものを感じたのであった。

この6回に渡って「川の話」を書いてきたが、そもそもは紀ノ川沿いをカヌーの川下りの下見に車で走った、というのがその発端であった。そして、そこから「寺田屋発 淀川 川下り話」につながった。

「伏見から大阪へはカヌーじゃないと下れません」と書いたが、そこに面白い企画があるのを新聞で読んだ。「京都〜大阪間に船便を通そう」という実際のプランがあるらしい。

何のためであろうか。

京都〜大阪間には、JRもあれば「小豆色」の阪急も走っているし、「不思議な緑色」の京阪電車もある。国道はもちろんのこと名神高速だってある。今さら「定期船」を就航させたからと言って便利になりそうな対象者はいない。「車にも電車にも酔うけれど、船だけは大丈夫」という人が京阪神間におびただしい数がおられるというのであれば、わからなくもないが、そういう可能性は限りなく低い。

通常の日常に、淀川船便というのは何のメリットもないように思える。その通りである。日常に関してはメリットはないのである。

これは「非」日常、つまり「非常」時対策としてのプランなのである。