第306話 川の話 最終回

いかなる非常時対策であろうか?そう、賢明な読者諸兄諸姉ならばもうお察しのことであろう。大阪京都が大震災にみまわれた際を想定しての対策なのである。

10年前の阪神大震災で「関西には地震はけーへんで」というのは何の根拠もない話だということが明らかになった。新潟地震があり北九州地震があり、日本国内どこにも地震安全地帯というのはない!ということも実感としてあきらかになり、「震度7というのは、しょっちゅう起こりうる規模だ」と常識は変わりつつある。

不幸にしてそういう大災害で、京都〜大阪間の主要交通路が大打撃を受け、鉄道は寸断、高速道路は倒壊というような最悪な事態が起きたとする。

しかし、川は変わらないのである。堤防の一部に亀裂が入ったとか、護岸の一部が崩れたと言っても、船が通れなくなるような被害を受ける可能性はほとんどないと言っていい。都市機能は複雑であるからこそ、災害にもろいのである。

川とは、「陸地にある溝に高い方から低い方に向かって水が流れる」という実にシンプルな構造である。これ以上シンプルにしようがないではないか。だから強いのある。

筆者はこの「非常時のために、淀川を船で行き来できるようにしよう作戦」は賛成である。


川好きかつ健康指導を生業としている私から観ると、「川」というのは陸地における「血管」のように感じるのである。ここをきれいな水がさらさらと流れていると、何かその地域そのものが健全になりそうな気がするのである。

最近のコンクリートで固められた直線の川に、透明度の低いよどんだ汚れた水が流れている様を観ると、人工血管の中を中性脂肪やらコレステロールやら化学物質やらをふくんだどろどろの血液が流れているかのように見えるのである。

大阪の道頓堀というと、阪神タイガースが優勝した時に、便乗大騒ぎ組が飛び込む川がある。今、あの川は人が飛び込むのを許せるような水質ではない。それで、そういう『飛び込みの有無』は関係なしに、地元の人の中で「道頓堀を泳げるぐらいきれいにしよう」という運動がある。楽しみな運動だと思う。

しかし、私はどうせなら「泳げるぐらいきれい」という程度ではなく、四国がほこる清流「四万十川」なみにきれい、という方がより楽しいと思う。そして道頓堀という小さな水路ではなく、この淀川こそ四万十川なみにしてしまったらおもろんやんんけ、と常々思っているのである。

そうなれば、本当に京大阪船で行き来、というのは日常になるかもしれない。

いいなあ。楽しみだなあ。