309話 人は予測することで生きている3
話しは戻るが、本当にまずかったのである。しかし、決して飲めないものを飲めるものと間違えた訳ではない。「これは●●ね」と理解して飲めばまずくもなんともないものなのである。それがおっそろしくまずい。うっと吐き出しそうになるぐらいまずかった。
チーズだと思って食べたら石鹸だった、というのではない。カステラだと思ったらキッチン用のスポンジだった、というのではない。そうめんだと思って食べたらたこ糸だったというのでもない。
人間は予測する生き物だ、と冒頭に書いた。
さて、読者諸兄諸姉様々方は、初めての飲み物を飲む際にいかなる作法で飲むであろうか?それがいかなる味なのか分からない、ということがはっきりしている場合である。そういう際に、いきなり「ごっくん、ぐびりぐびり、んぐんぐ、ぷは〜っ」という方はおられないと思う。少量を舌に乗せて味わう。なめるがごとく飲む、というのが常套手段ではないかと思う。ここまでは異議のある方はあまりなかろうと思う。
そして、その飲み物がいかなる味、舌触り、のど越し、刺激の有無およびに強弱、好みかそうでないか、などの情報が判別されると、もう決して「なめるがごとくちびりちびり、という飲み方はされまい。ではどうなるのかというと
「その飲みものが、もっとも自らにとって美味に感じられる飲み方になっていく」
のである。
このことは数年前、劇団オクトプラスとの共同研究の場で気づいたことである。
動体学の演劇への応用の可能性を探っていた。