311話 人は予測することで生きている5

日本酒を飲んでいる情景でも「味なんかどうでもいいんじゃ!」という時もある。やけ酒である。

「なんで〜、あんな女。あいつばかりが女じゃね〜よ〜!」とか
「なんじゃあ、あのくされ上司め。あんなバカが上にいたんじゃ、ばかばかしくってやったられね〜よ」

とわめきちらしながら、その飲み手がじっくりと顔を下に向けたとすると、どう見てもその情景は「やけ酒」には見えない。その瞬間は怒りを忘れ酒を味わっているように見える。

やけ酒には、我が身を破壊するかのような心情とそれにともなう体運動がなければならない。だから顔を下に向け、舌の上に酒をころがすような「味わいステップ」があったのでは「正しいやけ酒のための体運動」にならない。そこで「味わいステップ」を省略し、ビールよりもはるかに高濃度のアルコール溶液をダイレクトにのどにぶつけるという体運動へと変わる。

「味なんてどうでもいいだから、俺は酔いがほしいんだから」

と言うときには、顔を上を向く。「酒をあおる」というような表現がぴったりとする。

したがって、ぐっとあごを引くような渡哲也を見て、人は「松竹梅は美味しそうな酒なのね」と潜在意識に入るのである。もし仮に渡哲也が、正面からのどが見えるように松竹梅をかっぽかっぽと飲んだとする。と見る人の潜在意識には「やけ酒の時に最適、松竹梅。よし、こんど女性に振られたときにはぜひ松竹梅を飲むことにしよう」と刷り込まれるに違いない。

したがって、「やけ酒に最適!」という新製品を発売しようとする酒造会社があれば、
そのあたりに気をつけて広告を制作されればと思う。