313話 教科書問題?

最近の小学校というのは、「音読」を積極的に宿題にしているらしい。長女も次女もせっせと読んでは、「お家の人のサイン」を求めてくる。

昨夜はオフだったので、夜寝ころんでいると、長女が教科書を読んでいた。長女の朗読はなかなかうまい。本読みが宿題ということは、おそらく国語の教科書なのであろう。こういう話だった。

桜草という花がある。種を植えると当然咲く。しかし、その咲いた花からは種が取れない(だったか取れた種から芽が出ないだったか)というお話。なぜかと言うと、桜草の受粉にはなんたらかんたら蜂が、欠かせない。ところがそのなんたら蜂が生きていくには、野ネズミのふんがあるような環境が欠かせない。ところが野ネズミが生育するような環境というのは、畑や田んぼやゴルフ場では生きていけない。ということで、桜草の種から芽が出て桜草がどんどん自生するようになるには、様々な生物が多様に共生する環境が欠かせないのだ!

まことにわかりやすくためになる話である。こういう話は小学校5年生が読むより、人生経験豊富な大人が読むべきではないか、と切に思った。

大人が読めば話のリアリティが違う。奥行きが違う。

雄しべだの雌しべだのという話を聞いても、小学校5年生には、単に「花を構成する部分」という理解を超えるのは難しいであろうかと思う。

しかしながら、成人男女にとっては話は違う。圧倒的多数の方々が、我が身の雄しべなり雌しべなりで、ややこしい行為に挑み、そのうちの一定の割合の方々は人の親ともなっておられるに違いない。この朗読をしている小5の娘も、かつては我が雄しべに宿りし花粉の一つであったのである。

読者の中には、自生する桜草をご存じの方もあれば、鉢植えで愛でておられる方もあろう。野ネズミを実際に目にした方もあろうと思う。多様な生物植物が共生している里山が、開発されて無味乾燥なニュータウンになっちゃったのをずっと目の当たりにされた方もあろう。

そういう体験を背景に小学校の教科書を読むと、まことに得るところは多かろうと思う。

教科書をつくる方々も、「今の世の中、こういうことが大事なんですよ」ということを盛り込まれると思われる。しかし、今の世の中をつくっているのは大人である。しかし、大人はこういう小学校の教科書に載るような、コンパクトにまとめられた知識を得ることは少ない。機会があれば小学校の教科書を読まれるといい。大人こそ読むべきである。

しかしながら、高校の教科書あたりになると実につまらない。

筆者は、高校の時の日本史と世界史の教科書を本棚に置いてある。なぜかというと、中学校高校と歴史小説などを読み「歴史って面白いな」と思っていたにもかかわらず、授業と教科書があまりにもつまらなく、「これは俺が悪いのか、本当に教科書が面白くないのか、どっちなんだ!」と切に疑問に思ったからである。

何歳ぐらいになったら面白くなるんだろう、と確認のためにとって置いたのである。ここ20年ほどはやっぱり面白くなかった。

そろそろ25年を超える。もしかしたら、そろそろ面白くなっているかも知れない。そろそろ読み返してみるかな。しかし我ながら気の長い話だ。