334話 ためさんほどにはうまくいかねえ

今日は、年に一回、大阪市内の女子大でニコニコマッサージを教える、という日である。今日は大学の先生なのである。

しかしながら作務衣に足袋(たび)、汗拭きには豆絞りの日本手ぬぐいという普段通りのスタイルなので、「今日は大学の先生だ」という実感はない。

しかし、会場である体育館に行くと、生徒はどうみても女子大生なのである。これをお読みの読者の特に男性方は、「女子大生でっか、よろしおまんなあ、いひひひひひ」などをお考えかも知れないが、それは大違いである。単に眺めているだけならそれもいいかも知れない。適当な人数と楽しく遊びましょ、ということならそれもいいかも知れない。

しかし、筆者は授業をするのである。私のフィールドでのスタンスは、ノウハウを伝えてそれでよし、というのではない。参加者のみなさまが「身体が気持ちいい」とか、「変わった」とか「楽になった」という結果と実感をもたらすことが出来なければ、失敗である。

ちなみに授業の名前は「リラクゼーション論」という。担当は浅井先生である。12回ほどの授業の何回かは浅井先生が担当に、残りの半分ほどを浅井人脈に連なる講師が担当する、という構成である。ニコニコマッサージをやった今週に引き続き、来週はヒーリングミュージックの生演奏で、その次はアロマセラピーだそうである。他にも瞑想があったり、TA(交流分析)なども盛り込まれているという、なかなかゼイタクな授業である。

出席は42名。昨年はじめてやらせてもらった時には、人に触れるということがいきなりは抵抗があったようで、授業の立ち上がりは『学級崩壊』状態になりかけ、必死に建て直して、最後には「みんなにこにこ」状態に持ち込んだ。なので、今年も最初はなかなか手強かったのだが、時間の経過とともになんとかなるだろうと、思っていたが、やはり何とかなったのであった。

先週あたりに書いた「アメーバ高校生を見事に青い山脈青春謳歌高校生に復帰」させた、淡路島でのためさんの方が、仕上がり方が上質のように思われる。まだまだ修行が足りない?筆者なのである。

しかし、相当のエネルギーを使うのは確かであって、授業終了後に講師控え室にて浅井先生がお食事をごちそうして下さったのだが、控え室に帰っても、ハイテンションがしばらく収まらず、あたかもコンサートを終えたミュージシャンのごとき気分だったのである。

お食事しながらの歓談中に、浅井先生が

「リラクゼーションのメソッドには色々とあって、そのメソッドごとの本、教科書とうのは出ているけれど、リラクゼーションそのものの教科書はあまりないようなのです。いついつに、というのではないのですが、作ろうと思っているので、その節には津田先生にもぜひ原稿を寄せて頂ければ」

というお話があった。後先考えずに「微力ながら、全力を尽くします」とお引き受けしたのである。

しかし、このブログを書きながら思ったのだが、

>「女子大生でっか、よろしおまんなあ、
>いひひひひひ」などをお考えかも知れないが、

というような文章を書く人間に教科書の執筆を依頼していいのだろうか、ということである。この話の続きは数年後に。(あるのだろうか)