338話 衝撃の焼豚と真田庵 

>>それにしても今日は気分がいい。
>>どう気分がいいかは、明日の日記で。

と、昨日書いたのだけれど、今日になってしまうと今日の話が書きたい。昨日、筆者はなぜ気分がよかったのかという真相は、ここに永遠に謎のまま封印されてしまうのである。

今日は午前中にお一人を観た後は、断固として「和歌山の休日」を味わうことに決めいてた。あわよくば紀ノ川をカヌーで下るべしと思っていたのだけれど、降り続く雨に川の増水が懸念される。何度か下ったことがあるルートであれば、気をつける所は分かるからそれほどこわくはないけれど、やはり今日はやめよう。しかし、せっかくだから車で川沿いを走って下見をしようと昼前から出かけたのである。


12時前。和歌山市内をマイカーで紀ノ川方面へ。すると唐突に和歌山ラーメンが食べたくなった。しかしうまい店というのは知らない。高速道路、阪和線和歌山市インター近くに、巨大なラーメン屋があった。この先は田舎方面なので昼食にいい店が見つかるかどうか分からないというので、急きょUターンしてそこへ行こうとして、偶然「その店」があった。

巨大ラーメン屋の手前の三叉路にひっそりと、こじんまりと「まるたか」ラーメンがあった。

巨大ラーメン屋には「大外れ」はないだろうけれども「この店にしかないこの味! 大当たり!」に当たる確率もない。そこで、「まるたか」へ行った。

学業と合気道とともに「ラーメン道」を究めんと日夜精進しているS澤君に申し上げる。ここのラーメンを食べずしてラーメンを語るなかれ。特に「チャーシュー麺」の「チャ」の部分だけでもいっちゃだめよ、というのが「まるたか」だった。

麺はふと麺。スープは和歌山風茶系統あっさり味。よくは知らないがかまぼこがふた切れ乗るのも和歌山風なのか?ねぎはややふと刻みでたっぷり目。支那チクは、特に工夫はないけれども、しなしなっとした支那チクである。・・・とこれだけ書くとただの和歌山ラーメンである。

特筆すべきはそのチャーシューである。

本来チャーシューとは、一般的に2枚。より多くのチャーシューが欲しければ「チャーシューメンを頼む」というのがラーメン屋の定石である。

「まるたか」にはそういう常識は通用しない。

どう言えば良いのだろう。そう、ミニステーキである。ステーキと言ってしまうにはちょっと小振りだけれど、チャーシューという概念はまったく通用しない巨大なチャーシューが、どんぶりに投げ込まれているのである。

ふつうチャーシューというのは、ラーメンの具材の中でも、高級品である。巨人なら清原、阪神タイガースなら金本。サッカー全日本なら中田か中村。したがって、中央に鎮座させるのがラーメンの定石である。これにはラーメン評論家のS澤君も異論はないことと思う。しかしながら、この店のチャーシューを表面に重ならないように並べるならば、その表面の全てを覆いつくし、ブタの角煮の入ったどんぶりにしか見えない。なおかつその巨大な焼豚の重量は麺を押しつぶし、沈んでしまうこと必至である。

ということで、この店のチャーシューは、「どこからどう攻められても、チャーシューに当たるんだから」とまったくのノーガードでラーメンに放り込まれるようなのである。ステーキのようなチャーシューとチャーシューの間に、メンマや麺が潜り込んでいる、という様相である。

とにかく、この衝撃は目の当たりにした人にしか分からないであろう。年に一回和歌山に仕事で来るという為さんも、ぜひご案内するので、来られる時にはご連絡いただきたい。


衝撃ラーメンの後は、紀ノ川に沿って高野口へ。川の南は九度山である。

今をさること400年前、関ヶ原の合戦で西軍に与した真田幸村公が、徳川によって流されたのがこの地である。住居後の史跡を訪れ、400年前に思いを馳せる。池波正太郎の「真田太平記12巻」をつい最近読み返し、同じく真田を描いた「忍者、丹波大介」を読み始めたところであるので、思い入れ一杯である。雨のため、他の観光客がまったくいないので、実にいい。真田庵をひとりじめで味わう。

真田庵のすぐ下で紀ノ川に合流する丹生川の水がきれいだ。大雨が降り続いて数日目の今日であれだけの水質だから、ふだんならどれだけきれいなところかと、これまた晴の日に訪れるのが楽しみである。休みに来て「ぼけ〜」とできる、いい川原を今度は探しにくることにする。