350話 Pの悲劇 2 

さてここで運命の分かれ道である。ポケットの中に収まった部分とポケットからはみ出した部分とのせめぎ合いである。不幸にしてポケット内部よりもはみ出している部分が大きかった場合、お尻の隆起の角度が立ち上がる際に財布を押し出すような運動の軌跡をたどった時に悲劇は起こる。財布の垂直落下運動である。


賢明な読者なら、数行上からこの結末は予想されたことであろう。そうである。便器に財布を落とすという最悪の事態である。ただ落とすだけではなく、事が終わった後に落とすのである。

筆者の財布は茶色の皮財布だから、保護色で目立たないから問題ない、というわけにはいかない。「運がつくからいいね」などと言えるのは、他人事だからである。まさか便器で洗う訳にはいかないから、紙でぬぐって洗面所で洗うことになる。

鹿児島かどこかで猿が海水でサツマイモを洗うことを覚えた、という風景なら「おお、猿といえどもも学習し、新しい発見をして技を獲得していくのだね」となり、小学生向けのニュース映画にもなるであろう。(確か、小学生のころに学校の体育館で見た映画でそういうことをやっていた記憶がある)

しかしながら、駅のトイレの洗面台で財布を洗っている中年男がいたら、誰が見ても「あのあほ、トイレに落としよったな」ということは一目瞭然だし「うんこのついた財布を手を洗うところで洗うな!」と非難の目を向けられることは必至である。

しかし、こちらも必死なのである。うんにまみれた財布を、いくらご近所だからといって尻のポケットに戻す訳にはいかないではないか。

・・・っと以上の話は、全て仮定の話である。その日阪急塚口駅北側仮設トイレが「和式だった」というので、しゃがむまでの一瞬に脳裏に浮かんだことを文章化しただけのものである。

そして実際に、そういった悲劇を避けるために、私は尻ポケットから財布を抜くと、用を足したのである。手に持ったままだと紙も取れないので、足下に置いた。

事を終えて個室を出ると、50過ぎぐらいの男性が待ちかまえていた。私はほほえましくおじさんを見た。「知らぬ事とは言え、おまたせしてしまいましたね。ごゆっくり至福の時をお楽しみ下さい。(続く)