360話 川の流れのよ〜ぉに〜♪

朝は自宅でお一人調整させていただく。数カ月に一度「嫌になるぐらい頭痛が」という方である。今、自宅に韓国からひとり、高校生の男の子がホームステイに来ていて、四日目。ふだんと違う緊張に、少々疲れぎみっだとか。

その家の息子さんが通っている高校が韓国の学校と姉妹校だとか。それで今度修学旅行に行くのが韓国。ホームステイを受け入れた家庭の子どもは、韓国に行った際に、そのホームステイに来た子の家を訪問するということなんだそうだ。

「ほんで、やっぱ受け入れ家庭というのは、募集があって手を上げるんですか?」
「いえいえ、それが先生からご指名なんです。先生から言われると、ちょっと断れないっでしょう」

お互いに韓国語も日本語も理解していない息子さんとホームステイ少年は、お互いにつたない英語で会話を試み、意思の疎通をはかるもののうまくいかないらしい。

ところが、さすがにインターネット時代。日本語をハングルに、韓国語を日本語に翻訳してくれるホームページというのが存在するらしい。そこでお互いにパソコンにパコパコと打ち込む。しばらくすると翻訳された文章が出てくる。それを読んで返事をパコパコと打ち込む。たまにどう考えても変な訳もあるらしいけれども、大まかな意思の疎通はそれでできるそうである。


今日は子ども達は登校日。午前中にわしわしと帰ってくる。一同水着に着替え「和歌山市から時間をかけずに行けて泳げる川を探しに行く」ツアーに出動する。

和歌山インターまで17分。もっとも近いインターの「海南東」まで7分。地図上の「きれいな川」のありそうな方向に車を走らせる。迷うこと25分。唐突に「泳いで遊べて安全そうな川」に出る。


浅瀬あり、淵あり、飛び込める岩あり、食事やたき火のできる川原あり、木陰ありで、なにより水がきれい。いいじゃないか。川原の大岩の上で持参のおにぎりを食べると、さっそく泳ぐ。

筆者のお気に入りの川遊びを紹介する。「ライフジャケット川流れ」である。

ライフジャケットを着用する。そしてゴーグルを着ける。川上に歩く。水面にうつ伏せに浮かぶ。後は水中観察をしながらただ流れるのである。カヌーの川下りは楽しいが、水中は見えない。しかし、この方法だと川下りのスピード感と水中観察の楽しさの両方が楽しめる。泳いでいないのでさほど息が切れないので、けっこう長い間顔を水面につけっぱなしになる。

川魚の泳ぐ様が目の前に広がり、水のスピード感と合わさってで非常に楽しいのである。

子どもたちにもライフジャケットとゴーグルを付けさせ要領を伝授する。

泳ぐ必要がないので、昨日の「浮遊入浴法」と同じく、「死体化」しているように見える。前記したように「泳がない→息が切れない→息が長い→息つぎをしない→土左衛門化する」の方程式である。

上流から土左衛門化した子どもたちが次々に流れてくる。

しかし、こうやって文章にしてみると、筆者は「何もしないでまかせる」という方法がすこぶる好きなんだということが良く分かる。無為自然である。老師の世界である。タオ(道)である。大いなる虚とつながろうとする偉大なる行為なんだ。

そうだったのか。お風呂でぷかぷか浮かぶのも、川をゆらゆら下るのも、私なりの「タオ」追求の求道的行動だったんだ。修行だったんだ。そうか、そうだったんだ。