364話 オゾンホール

さっきから切り抜きを探しているのだが、見つからないので記憶で書くけれど、とっても嬉しい新聞記事があった。10日ほど前の読売新聞の夕刊の小さなかこみ記事である。

それによると、オゾンホールの拡大にどうやらブレーキがかかったらしいのである。ブレーキがかかるとともに、一部再生の動きもあるんだという。ただし、きれいに復活するにはまだ数十年がかかるというコメント付きではあったが。

どうしてこういう喜ばしいことが、小さな囲み記事にしかならないのであろう。人類だけでなく地球上の生物にかかわる共通の大問題が、喜ばしい方向へ転換したという快挙である。フロンガスの回収などの地道な取り組みに目に見える成果が出たということである。

一面トップにしてもいいぐらいの嬉しい記事である。

ちなみに今朝の読売新聞の一面トップは「石綿 2中学で基準超す」というものだった。

なぜ、石綿の問題が問題になるかというと、人の生命や健康が理不尽に奪われる可能性があるからであろう。であるから、新聞社は報道の価値あり、ということで記事にされるのであろう。

2中学で、体育倉庫の天井を覆っているのが、「アスベスト」ではなくて単に「蜘蛛の巣」であれば、新聞の記事になることはない。

しかし、問題の大きさ、被害を受ける程度など生命に関する影響であれば、オゾンホールの問題は、決して小さくはない。南極大陸を覆い尽くす大きさのホールと、体育倉庫の天井では面積的にいっても比較にならない。

もちろん、中学校のアスベストを放置しておいていい、ということではない。

しかしながら、新聞の記事の大きさやテレビ報道の登場回数で、ついつい問題の大きさを判断しがちである。危険性の大きさというものを判断しがちである。

アスベストの工場で、何十人も中皮腫になったり肺がんになったりしている、というのは決して見過ごしにしていいわけではなく、責任のある所が、十分な補償をするのは当然であると思う。

私が知りたいのは、一日に数分か数十分出入りする程度の体育倉庫の空気を吸って、実際問題どれくらい危険なんだ、ということの客観的な情報である。業界よりのご用学者のコメントでもなく、危険一本槍のヒステリックな見解でもなく、「実際問題正味のところ、どうやねん」という判断材料が知りたい。

と、アスベスト問題に話はずれたけれども、
オゾン層破壊にブレーキがかかる!」
「一部再生の動きも」
フロンガス回収などの地道な活動が身を結びつつある」

というようなニュースで、将来の地球像に、すこし明るい空想がしやすくなって嬉しいな、ということがいいたいのである。

年金も経済も郵政民営化も、地球がまともにあっての話しだからね。