365話 ヤマカミくんの

昨日のブログにコメントを寄せてくれたミュートの同士、ヤマカミ氏のブログを読む。おもしろい。。共感すること多々である。

心理指導の例として「先にお礼を言ってしまう立て札やはり紙」の効果について述べている。「いつもきれいに使って頂いてありがとうございます」というトイレの表示のような例である。

※ところで、ヤマカミ氏のブログのアドレスだが、末尾に余分な』がついているので、それを外してアクセスして頂きたい。

最近は、この手の「先にお礼をいうはり紙」のたぐいも頻繁に目にするようになった。

筆者が「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」を初めて目にしたのは、今を去ること10年以上前、大学の合気道部のOB会が行なわれた松江市の旅館でのことであった。

トイレに行った筆者は、筆者はまず小便をする目の前に貼ってあるそのはり紙にいたく感心したのである。先にお礼を言われてしまうと、汚すわけにはいかんわなあ、といつもよりも細心の注意を払って、小便を確実に便器の中に向かった放出したのであった。誰がお考えになったのかわ存じませんが、実にお見事でありますと感動したのである。その「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」はり紙は、小便器ひとつひとつの前にくまなく貼ってあり、また個室の方にもくまなく貼られていた。

さて、その日のOB会は、創部20周年記念かなんか、節目のOB会で、非常にたくさんの卒業生が集まり、おおいに盛り上がった。筆者は下戸である。奈良漬けでも酔うし、粕汁でも酔う。先日はざるそば「つゆ」のみりん成分でほてってしまった。

したがって、宴会の場合は飲まずに、もっぱら介抱役である。盛り上がった会で、4年下の、在学中は非常につきあいの深かったT崎君が酔っぱらった。そして吐きそうになった。そうすると、行き先はひとつ、トイレである。

「おいおい、大丈夫か、しかりせいや」とか言いながら肩を貸してトイレに入った。

「いいか、ここが便器やで。ここに吐けよ」

とか言いながら、個室に入った。

そして、次の瞬間、T崎(ここはもう呼び捨てにしちゃう)は、瞬時にしてズボンを脱いだ。今の今までぐでんぐでんだったのが信じられないほどの速攻だった。Bクイック、という感じだった。さらにT崎はこれまた目にも止まらぬ早業で、「大」を一気出しした。

こう読むと、別にたいした問題ではないようにも読めるかもしれない。しかし現実は非常に厳しかった。

彼のぐでんぐでんのアルコール漬けの脳細胞でも、「俺は今、便意がある」ということは分かっていたらしい。さらに彼のアルコール漬けの脳細胞でも「今、俺はトイレにいるんだ」ということは分かったらしい。しかし、しかし。彼のアルコール漬けの脳細胞には、便器の位置を把握する能力というものは消失していたようである。和式のトイレは便器をまたいでするもの、という作法も消失していたようである。

T崎が、ズボンを脱いでから、おわん一杯ほどの「大」を排泄するまで、止める間もないほんの1〜2秒の出来事であった。

排泄先が便器の中であれば何も問題はなかったのである。しかし、T崎は、何を考えたか後ろ向きでしゃがみ、かつ「便器横」の「床面」に「それ」を大量に排出したのである。

「自分のことは自分でしよう」というのは、ノーマルな場合にしか通用しない、ということを知った筆者であった。「責任を取る」、というのも脳細胞がアルコール漬けでない時にしか通用しない社会通念であることを知った。T崎はその時点でただの物体。たんなる「粗大生ゴミ」であった。

しかし、そのおわん一杯ほどの排泄物の前の壁面には、ちょうどしゃがんだ人の目の前に来るように

「いつもきれいに使って頂いてありがとうございます」

と貼ってあったのであった。

筆者はその文言に「お前がやらないで(うんこの後始末のこと)誰がやる」と振り仮名が打ってあるような気がした。

筆者は、T崎を丁寧に清め、かつ旅館の部屋に放り込んだ。そして、「個室」に戻り、T崎の排泄したものを丁寧に流し、拭き浄めたのであった。

恐るべし


「いつもきれいに使って頂いてありがとうございます」

の呪力。言霊パワー。