366話 人それぞれ

人それぞれに仕事に適した環境というものがあるようである。

筆者の場合は、自宅ではまったく仕事ははかどらない。前にも書いたがファミレスに行くと非常にはかどる。これが同じ人間かと思うぐらい仕事(主として原稿や事務処理のことだけど)集中できてしまう。

今もファミレスである。一時間ほどの間にブログの原稿2回分に、メールを2本、経理処理的な雑事務1週間ほどがみるみる片付いていく。

何がそうさせるのであろう。ごろっとテレビを見る、というのが不可能であることがいい。阪神対ヤクルト18回戦、3時間だらだらと視聴し、結局延長戦の最後まで見て逆転負け、この3時間半は一体なんだったのよ!というような時間の使い方は不可能である。今読む必要のない本をついつい手に取るということもできない。

だいたい自宅でやろう!という時には、少々欲張りすぎるのが常である。片付ける(処理する、というものと文字どおり片づけてなおすというものの両方を含む)必要のあるものを一か所に集め、積み上げ、その全てを一気に片づけようとして、結局は積み上げただけで終るということもファミレスではありえない。

勢い、ひとつひとつ順番に、ということになり、結果的にいくつかのことが着実に片付くということになる。

筆者はその成長過程において「整理整頓」という回路が脳細胞の中で発達する機会を素通りしてしまったように思える。もしかしたら遺伝的な問題かとも思ったが両親ともに整理整頓のできる人であるので、単に怠け者であるだけかもしれない。

私に資料整理や部屋の片づけの才能があれば、どんなにすごい業績を上げているだろうか。私にひとり自室にこもって、整然と片付いた部屋で着々と原稿を仕上げ、研究ノートを進めていく性根があれば、どれほどすごい作品を世に送りだしていただろうか。考えるだに恐ろしい。(というのは大げさすぎる表現である)

というようなことを、公開で開き直っても仕方のないことで、「する必要のることを着々と進めつつ、やりたいことを楽々悠々と楽しむという理想に向かい、我が身の力の出せる「型」を模索しているのが、昨今なのであります、」と今回は結んでおくのであった。