367話 インスパイヤ

8日のブログのコメントに、山上くんから「津田さんが楽しそうにブログを書いているのに「インスパイヤ」されて、ぼくもブログを始めました」とある。

4日のブログのコメントは「インスパイヤ大澤」さんからだった。

インスパイヤ続きの9月である。

実は浅学な筆者は、インスパイヤの意味を知らない。そして「インスパイヤ」とは何ぞや、ということはこの数カ月心に引っ掛かっていた。きっかけは「日立」である。テレビの「 日立 不思議発見!」を家族がわりに見ていて、一緒に見るともなく見ていると、スポンサーは日立。そんでもって、その番組ラスト付近のCMの締めが
インスパイヤー ザ ネクスト HITACHI」
という女性のナレーションで終る。

そうか〜、日立さんは「次」を「インスパイヤー」したいと思っておられるのね、と見るたびに思いつつ、ほんでどうしたいねん、ということは明確には分かっていないのである。

ここで、ささっと席を立ち、英和辞典を開き、意味を理解するという行動が即座に取れるようになると、私は精神的にとても安定する。それが昨日書いた「人それぞれ」の中で私が目指している方向性である。ああやって「我が身のぐうたら」をブログのテーマに上げるということは、私自身の中で「ぐうたらと決別すべし」という何ものかがうごめいているに相違ない。

そういう流れの中で「インスパイヤ」の連続である。ついに辞書で調べに行ったのである。その意味として

「鼓舞する」

とある。

日立は次(あす?の意味ぐらいかな)を鼓舞する!日立!ってわけだ。

鼓舞とは何ぞや。以下は私の勝手な連想であり、学術的解説ではない。

鼓とは「太鼓」のことであろう。
舞とは舞う=踊る=手足を振り回す

鼓舞とは、太鼓の音に合わせ、手足を振り回し、その対象物を元気づける、という意味になる。それは、どこかで見た風景である。そう、響き渡る太鼓の音(時としてカネや笛も加わる)、縦に横に手を振って前進のエネルギーに力と方向性を与えるそれは、まさしく「応援団」ではないか!

ミュートの会報の最新号に書いたように、筆者の過去の一こまでありミュートのルーツのひとつに「応援団」がある。

健康指導という仕事は、つまるところ元気になりたい人の応援団である、というのが私の持論だ。

大澤さんに「インスパイヤ大澤」と先に名乗られてしまったが、「インスパイヤ津田」というのが、津田の目指しているところであったのだ。もちろん、大澤さんの使っておられる意味は少々違うかもとも思われるので、その当たりはご本人のコメントをお待ちしたい。

もしかしたら、津田の綴りの調べ間違いで今大恥を書いている最中かもしれない。そのあたりもあれば、賢明な読者諸兄にご指摘頂きたい。

某「日立」関係の方にも、真意はこうやで、というのがあれば教えて頂きたい。

いずれにしても、そういうタイミングでインスパイヤなのであるからには、我と我が身もこの機会にインスパイヤして、会員のみなさまを一層インスパイヤしていく前進の糧とするのがタイミングというものである。(分かったようなわからないような文章だなあ)

相手の生きる力を鼓舞していくのが、私のしたいことである。
そのことによって、みずからも学び、また元気を頂くのである。

しかし、そうやっているつもりで、実はそうなってない場合だってあるやもしれぬ。気をつけて顧みるべしである。元気にさせているつもりで、相手の依存度を高めているだけという場合だってあるやもしれぬ。

そうすると、相手に元気になって欲しいという看板の下で、相手の元気を損ねているかもしれない。そうなるとインスパイヤ津田ではなくバンパイヤ(吸血鬼)津田になってしまう。

それはちょっと困る。