371話 捻れる?秋祭り (だんじり2)

したがって、秋になり体が捻れてくると、ちょうどゼンマイを巻いたようなもので、闘争的行動で、その「バネ」にたまっているエネルギーを開放してやる必要が出てくる。それが秋に行なわれる祭りに観られる闘争的に側面を生み出しているのではないか、という見方をしている。

そういう視点から、体の季節変化と祭りの形態を対比してみると、やはり秋祭りの形態というのは非常に闘争的に思える。

大阪府南部、海岸に沿った泉州一帯で秋に一斉に行なわれる「だんじり」(岸和田以外でもたくさんやっていいる)のなんと闘争的なこと。また姫路方面播州地方で行なわれるのが「灘のけんか祭り」もう、祭りの名前からして闘争一色である。

例えば夏に行なわれる東北4大祭りに、あなたは闘争的なものを感じるだろうか?

例えば青森県の「ねぶた」。確かにものすごいエネルギーを感じる祭りである。しかし、そのエネルギーは「らっせーらー らっせーら」というかけ声とともに「ジャンピング、ホッピング」に向けられており、特定の対象物に対する敵対行動的にはなっていないようである。

セミが数年の一生の間で、地上に出て来た数日間しか恋ができず、全力で求愛の鳴き声を響かせているが、ねぶたも、冬が長く夏が短い「みちのく」人々が、短い夏を惜しむかのように、どこか哀愁漂う爆発である。その昔であれば、ラッセーラーっと飛びながら、思いを寄せた娘さんに近づき、手を取り、ラッセーラーっと神社の裏の森に消えていく、というような情景も空想できる祭りである。

しかし、だんじりではその情景は非常に想像しにくい。ねぶたが「群集」というイメージがあるのに対して、だんじりはやはり「戦闘集団」「軍団」というイメージである。集団から抜けることは敵前逃亡であり、許されないイメージである。(つづく)