372話 捻れる?秋祭り (だんじり3)

秋田・竿灯祭りのエネルギーもまた闘争には向かわず、竿の長さとなって上に向かっている。ちょうちんで飾られた竿灯をバランスよく歩み進めることが重要であって、町内ごとに分かれて、竿でしばきあいをしているのは見たことがない。仙台の七夕に至っては「♪笹の葉 さあらさら」であって(意味不明)、夏の祭りは実に平和的である。

しかし、9月の声を聞き、秋に入るやいなや、祭りはやはり闘争的な色合いを一気に帯びる、

例えば夏に行なわれる京都の「祇園祭り」と秋に行なわれる岸和田の「だんじり」は、どちらも「山車を曵く」という点では同じである。しかし「祇園祭」が「コンチキチン」と風流なのに対して、だんじりは「チャンカ、チャンカ、チャンカ、チャン、ソオーリャ、ソーリャ、ソーリャ、ソーリャ」と勇壮であり、ど迫力である。圧力、突進力が違うのである。

祇園祭コンチキチンと雅(みやび)に曵き、しずしずと進むのに対して、だんじりはじわじわと曵きつつ内圧を高め、曲り角を見つけるや、総員配置につき、全速力で曲り角に突っ込み、直角に曲ることに命を賭ける。これを「やりまわし」と言って、だんじり男たちの真骨頂なのである。

コンチキチンのリズムが基本的に一定なのに対して、「ソオーリャ、ソーリャ」は突入に際してリズムが変わる。

だんじりだって、2分おきに曲り角を見つけては突進している訳ではない。そんな20数年前のテレビゲームの「パックマン」のような動きを2日も3日間、走行距離40キロとも60キロとも言われる距離を、そんな動きをくり返していたら、疲労による死者が出ることも避けられまい。それなりにまっすぐな道路はたんたんと曵くこともある。その時は

「そぉおぉ〜おぉりゃ、そぉおぉ〜おぉりゃ、」

というリズムである。全音符1つに全休符ひとつというリズムである。(筆者は音楽的な知識はほぼ皆無に等しいので、ただ感覚的にほざいているだけである。決して学術的に読んではいけない)イメージ的には、運動会の「オーエス、オーエス」に近い。(つづく)