382 快気法復習会

昨日は快気法の指導者養成「快の学校」の復習会。

「快」と言ってもいろいろある。体を壊す快だってある。麻薬やら覚醒剤なんていうのは、気持ちは良いけれどもも心身を損なう。快気法は『からだを育てる快』の感覚を育てていくのである。

 では快というのはなんだろう、と考えると「やりたいことをやれている状態。欲求を満たしつつある状態」に快は生ずる、というひとつの見方ができる。
 先月行なわれた本講座では、その人の今自然にとってしまう『寝相』から、その人が「頭や神経が疲れているのか」「消化器が疲れたり感情を損ねているのか」「泌尿器が疲れているのか」「生殖器が疲れているのか」「呼吸器が疲れているのか」というのを判定する、というところから開始された。
 そこで、今日は四肢にある「動きが自然に出てしまう一点」から出る体勢をつないでいくことで、自然に湧出される寝相を作ってみよう」

というような話を枕に実習を開始する。

 そうやって出て来た『寝相』というのはおっそろしく気持ちがいい。呼吸が深く心理的にも安定し、「もう何もいらないわ」という気分になる。

 快気法の無意識の動きは、日常的生活の中では「のび/あくび」が代表的なもので、それらは筋肉運動をともなっているけれど、睡眠中はそられ寝相のかたちを取ってッ筋肉の力み運動なしに、心身を調整している、ということを知ってもらおうという意図である。

快気法の味わいにはもっともっと幅と深みがあり、それらを見つける少しでもヒントになれば、ということも意識している。

 実習してみると、「捻り系寝相」が衆議院自民党のごとく圧倒的多数となる。さすが「ねじれの秋」である。

 続いて腰椎の五つに対応する10種類のあおむけ快気法を、体のひずみや癖が取れて、柔軟性、弾力、バランスを回復していくことを観察・確認しながら着々と実施。

 恍惚とした快適感覚はさらに深まり、晴れやかな満足感とともに実習終了。

 そこで、再度あお向けから、「一番したい寝相は何か、四肢に聞いて取り出してくる」を足してみることにする。

 きちんと整っていれば、寝相はあおむけ自然体で落ち着いているはずである。あるいは、一通り整ったところで、さらに深い調整に向かっての動きが出ているかもしれない。

 8名の参会者全員、あお向けで、それ以上の変化は必要としていなかった。

 ただし、四肢に触れて見ると、ほんの1センチ、2センチ微調整すると、さらに深く快さを感じ、リラックスし、呼吸が深くなる。

 そこに快気法をやりこんでいく意義を感じる。

 参加者一同「今はうつぶせとか横向きはいらない。今やっているあおむけ自然体が一番いいわ」と感じていたに違いない。しかし、そこに手を添えて、さらにほんの少し角度をずらすと

「まさに、この体勢がしたかったのよ」という姿勢に出会う。

 ということは、その微調整前の姿勢は「私がしたいことをしている」と思っていただろうが、実はしていなかった、ということになる。

 その1〜2センチの差が大違いなのである。

 その1〜2センチは物理的には小さいが、体感的心理的には非常に大きい。その1〜2センチは「まさにこれしかない」という手ごたえの状態である。そこに出会うために、快気法をやりこむ意義はあるであろうし、また、ひとに触れて手伝ってもらう意義があるのであろう。