387話

土曜日

前記したオクトプラスの観劇会。夜の部にはY子さん、N納さん、和太鼓奏者のO田さんが参加される。

N納さん曰く「思う存分泣くために」ばらばらに座り、それぞれの感動を味わい、後、ぞろぞろと塚口駅前スパゲッティのタントへ。後、コーヒーの青山で近況の報告会。

後、オクト代表、今回作の主演である奥濱恵子宅へからだの調整に伺う。演出の保坂氏とともに感想を話あう。ここで親子の情愛というものがストーリーの横糸になっている今回の作品の裏側で繰り広げられた感動秘話を伺う。舞台裏という言葉があるが、まさに舞台裏である楽屋で、本日の昼の部の後の出来事である。

事実は小説よりも奇なり。事実は台本よりも奇なり。

テレビ「情熱大陸」でも見ているような話であった。しかし、この話は個人のプライバシーにあまりに踏み込むため、ここで口にすることはできない。しかしながら、主演であり、今回の本の作者である奥濱恵子氏をもって

「私は自分が好きだからとずっと芝居をやっていて、でもそれは自分の「好き」のためだけで、世の中に何の役にも立っていないんじゃないかと思っていたんですが、ああ、今回の本を書いた意味は合ったんだわと思えることができて・・・・」

と言わしめるだけの出来事であったのである。あああ、書きたい。

でも書けません。すいません。

そういうこともあって、初日の興奮で昨夜一睡もしていないらしい奥濱さんは、さらにハイテンションが続いている。小一時間話を聞いて思いを吐きだしてもらった後に、調整する。明日は千秋楽。最終日。より良いコンディションで舞台を迎えてもらいたいと思う。


日曜日



今朝は仕事が11時からなので、朝9時にピッコロシアターに向かう。10時までぐらいなら時間が取れるので、疲労困憊役者メンバーに整体をするのである。

前にも体験のある話であるが、本番前の役者の整体ほど「俺は名人になったのだろうか」と錯覚させるものはない。

もともと体は訓練している。本番前だ!というので気力はこの上なく充実している。しかし身体的な疲労のみ極地に達している。したがって

「今私のコンディションを良くしてくれるものがあるなら、悪魔にだって魂を売るわ」

状態である。

そういう状態の背中にポンポンと手を置くならば、こちらはまだ何もしていないに等しい状態なのに、みるみる体が整っていくのである。「ジャックと豆の木」であっという間に豆の木が天に届く高さになるがごとく速度で、体が整っていくのである。

これを我が実力であると認識してしまうと、大間違いである。言うならば「本人力(ほんにんりょく)」である。しかし、整体とは本来そういうものであるかもしれない。本人力をいかに発揮させることができるか、ということが大事なのである。



午後は「快の学校」の復習会。

○快とは欲求の充足に向けた行為に生ずる。
○欲求は、ピンポイントで内在している。
○その欲求を肯定的にとらえると運動を生ずる。
○さらに、欲求は多方向多方面に存在する。つまり人の可能性は多角的に存在する。

と整理がついた考え方に基づいて過去3回分の実技のおさらいをする。

道場中が「快」「快」「快」「快」「快」「快」「快」「快」「快」「快」
状態になって終了。

二日ぶりに和歌山へと帰る。

ちなみに明日は非常に嬉しい予定が入っている。嬉しい結果になるか、はたまた結果をここに書いていいかは明日にならないとわからない。遠足前日の小学生の気分である。