390話 うれしい一日③

門戸厄神駅を下車し、閑静な住宅街を抜けると、唐突に大学の門に出る。門からはうっそうとした並木の坂を登ってキャンパスに入る。山の中腹とでも言うべき立地に、木立の緑が鬱蒼としているので、キャンパスの全体像というものはわからないが、次々にあらわれる建物は、歴史と伝統と高級感、というふりがなが打ってあるような趣である。そこをわらわらと歩く女子大生たちも、なかなか高級感を振りまいて、いかにも「阪急沿線」という感じである。

我が青春の学舎(まなびや)島根大学・西川津町近辺とは全く異質のキャンパスライフというものがある、ということを実感した。

島大は、松江市の東北のはずれ、当時は広大な田園地帯の一角にあった。県外出身者も多く、そういった学生は大学周辺の農家が副業として経営している下宿に住んでいた。筆者は、久保田さんちの畑の敷地に立てられた9人一棟の「下宿専用棟(トイレ・炊事場共同 風呂は大家さんのところに入りに行き、電話も呼び出してもらう)」に住んでいたが、友人達の中には、「農機具小屋の2階」というような住環境のやつもいた。

下宿は大学周辺に密集しているため、そこかしこに学生目当ての食堂があり「めし」「うどん」「定食」というような看板が目についた。

筆者の下宿棟の入り口横には、雨水をためる1×2メートルほどの池があった。たまに大家さんの奥さんが畑でとれたネギのどろ落としに洗っていたりした。当時は「角川映画」が全盛で、「スローなブギにしてくれ」なんて歌が流行っていた。首都圏の若者は「スローなブギにして欲しい」という、筆者にはまったく理解不可能な欲求と並立する生活環境にいるんだなあと思っていた。

筆者の周辺のどこにも「スローなブギ」らしきものはなく、下宿玄関わきの池に「白ネギ」が積まれてあるばかりである。

しかるに、神戸女学院周辺にもまた「めし」も「うどん」も「定食」の看板も「白ねぎ」もない。うだうだとしつこいが要するに、そこかしこに漂う神戸女学院の高級感を述べたかったのである。

ミッション系の大学であるここの校舎は、「洋館」というとぴったりな校舎がならび、その中の「文学館」の2階が今日の教室である。

F井さんにもうまく情報が届いてなかったか、

「この教室が隣の教室かどちらかです」

ということなので、老師、御大、師匠の登場を廊下でお迎えした後、入室すれば良かろうと言うことになる。