393話 手様の神通力

はしかの話の続きがまだ書けていないので、今日は別ネタ。


ミュートネットワーク会報 11月号より転載

■■■ やわら心道稽古会  「手」様の神通力 ■■■ 


 日々人の体に触れて健康度を高めるサポートに腐心する毎日。そこから「世界のありようと」と「人の心身」を重ね合わせて見てみると、非常に似かよっているように見えます。

「テロ撲滅」と叫んで封じ込めようと軍事攻撃を始めて、結果的にますますテロが激化していく様子は、安易に抗生物質を多用して、どんどん抗生物質の効かない耐性菌を作り出していく流れと同じように見えます。じゃあどうすればいいんだと世界を考えても
わからないのですが、体から考えると見えてくることがあります。

9月の心道稽古会の時のお話。相手に手首を持たれたところから、からだを質良く捌くことで、相手を崩す稽古をしていた時の事。 稽古生一同、形は真似ることは出来ても、技の冴えや効き具合といった本質的なところはなかなかうまくいかない。そのおり河野先生はかくのたまわれたのでありました。


「手首を通して相手(の中心)を取って(コントロールしている)いるように見えますが、同時に技を掛けているこちらも、自分で自分の手に取られている(技をかけられている)とも言えます。」

ふむふむと思い、相手に取られた手首を本体が操作するのではなく、相手と接している手首の部分が自然に動いていく方向に、体全体がついていくようにやり方を変えてみると急に相手が大きく崩れるようになりました。

さらに河野先生の実演解説は続きます。

「ただの『手』じゃなくて、

    『手様』だと思って、手様に従うようにすればいいんです」

 「おお、手様!!」 「そうかそうか、そうだったのか」

疑問氷解・単純明快・勇気凛々瑠璃の色、まさしく「プチ悟り」の瞬間でした。

この気づきは、畳の上の武術だけの話ではなくて、私にとっては物事への取り組み方や努力の方向というのが180度変えてしまう力を持っていたのです。

「手様」にまかせた方がうまくいく、という事実が、人間の真理を表しているとしたら、「私が」頑張り努力するという方向性は違うかもしれないということになります。

 世間のおばさまは「ヨン様」を追いかけておりますが、私は私の中の「各部分」様の僕(しもべ)となるべくつとめる毎日であります。心道や整体は「手様」。歩く時は「足様」。書くときは「手の指様」それぞれその行為をする最前線で対象と接しているところを「様」として、あとの全身は、「○○様」の邪魔をせず、いかに協力していくような使い方をできるかを意識します。身体の民主化、民営化です。

そうやって全体を一つにするためには、体の各部分がそれぞれ柔軟で自由に多様に動きながらも、どういう協力も瞬時にできるようなからだを養っていくということが必須になってきます。なかなか難しいのですが、ニコニコマッサージや快気法はその体づくりに大きな力になってくれます。 

自分の意思や自我意識が自分を動かす、と思っている「身体観」は、その意に添わない部分を排除してしまう発想にもつながりかねません。だから自分の手様、足様にそれぞれ導いてもらえるということがからだの常識になる人が増えればと思います。

一部先進国や巨大企業が、世界全体を支配するというような流れに、環境や資源を考えると行き詰まったように見える21世です。

手足のように「頭に支配される道具」のように思われていた部分が、そこに「仕事」をまかせて、全体がそこに協力するようにしてみると、かえって全体にとってうまくものごとが運ぶという「からだにおける事実」を世界のありように当てはめてみると、これからの世界のあり様を打開策が見えてくるように感じるのです。