394話 手様に磨きをかける 1
土曜日
今日は朝のクラス前の整体がなかったので、K大合気道部のM森氏をお誘いして授業前に「やわら心道」の稽古。昨日の日記の「手様の神通力」に磨きをかけようというのである。
今までの稽古に比べればはるかにうまくいく。しかし現役合気道部員が、本気で「投げられまい」とすると、「あっ、うまくいかないかも知れない」という空想が働く。すると「うまくやってやろう」という思いが湧いてしまい、考える私が手足を操作するという前の反射に陥ってしまうこともある。
手様が、「手」になってしまう。すると元の木阿弥である。
頭を介入させないにはどうしたらいいんだろう。
そこにはまだまだ「どう捌けばいいんだろう」「どう崩せばいいんだろう」と「技的な動き」にとらわれている自分を感じるのである。相手に腕をわしづかみされても、悠々と動じない自分であってほしいね、というようなこだわりがこびりついているのである。
持たれた腕をどう捌くか、ではないのである。それでは頭がはたらき、偽物になる。
数学専攻とはいえ、M森氏は180センチぐらいありそうな大柄なお兄ちゃんである。そのお兄ちゃんが本気で腕をつかみにくるのである。すると我が腕様は、また頭が介入しない首から下は、びっくりする、ということに気がついた。
「ひっ」
となって、腕の運動が出る。通常は
「ひっ」
となって固まってしまう。それを固まらないでその運動をもっと積極的に出してみることにした。びびらずに、固まらずに、でてくる「びっくり反射」に全身でついていくのである。
これはうまくいった。いきなり腕をわしづかみされるのであるから、緊急事態である。捕まれた瞬間にはすでに「技」と言えるようなものが働きだしていなければ間に合うはずがない。素直にびっくりして、ただしびびらず、みぞおちを開いたまま素直に反射に協力して、とやってみると、M森氏は、どんどんひっくり返っていく。
片手をつかまれてびっくり。両手をつかまれてびっくり。後ろから両手をつかまれてびっくり。後ろから羽交い締めにされてびっくり。どのシチュエーションでもなかなかうまくいく。