397話 あ〜よく寝た 2

なんという爽快感であろう。深い眠りと心地よい目覚め。

私の学ぶ整体や快気法では、「息が入る」ということを身体調整の目安として重視している。息が入るように体を整えているのである。息が詰まると気詰まりになり、息を引き取るとあの世へ行く。生と死を分かつものは「息」であるから、それを無視したいかなる身体調整も的を外しているように思える。

しかし、今朝のこの心身の状態たるや、なんと気持ちよく息ができることだろう。特別のヨガのポーズを取るわけでもない。身体における「調律点」と呼ばれる身体調整のツボを押さえるわけでもない。

何々があって、幸せ。何々が出来て幸せ、というのではない。何もないけれども幸せなのである。


そしてこれが本道だな、と感じるのである。

眠れない、夢を見て目が覚める。目が覚めても起きられない。痛みで目が覚める。

最近調整にこられる方々の声を思い出してみると、質の悪い眠りに関するコメントが非常に多いことに気づく。そういえば前回の快の学校の際にも、河野先生から眠りの質の悪い現代人の悩みという指摘がなされていたことを思い出す。

それらの方々は眠りとその人が対立関係になってしまっている。眠りは健康度を増し、はつらつと毎日を送るための、最大の見方であるはずである。これから人を観させてもらうときに、その背景にあるその方の眠りに、もっと注目したいと思う。


お裾分けできるものであれば、今朝の目覚めと昨夜の眠りを、それら「眠りにご不満の方々」に、お裾分けさせていただきたいと思う。