399話 半落ち 2

そのワイドショーで「半落ち」が取り上げられた時の話題というのが、この映画の影響で、ある社会現象が起きている、というものであった。

それが何か、ということをここでは記せない。書いてしまうと私に訪れたのと同じ不幸があなたにも訪れる。つまり、映画「半落ち」小説「半落ち」の最大の謎解きの「えっ」と思わせる意外性の部分が分かってしまうのである。

もののけ姫」がヒットして、シシ神の森のモデルになった屋久島に観光客が増えています」というような報道ならなんの問題もないのである。「踊る大捜査線」がヒットして今年の警視庁の応募者が増えました、というのも問題もないのである。その報道を観たからと言って、映画のおもしろさが損なわれるという可能性は万に一つもない。

だから、私も安心して「半落ち」を読んでいた。まさか「謎解きそのものの謎の部分」というべき内容を報道するとは思わなかったからだ。それに本を買った時点ではそのワイドショーの内容は忘れていた。しかし、読み進めながら、その社会現象というやつを思い出してきた。そして、本当にそれは謎解きの謎の大部分だったのである。

ここでその社会現象というのは何か、ということを書いてしまうと、このあほバカワイドショーと同じになってしまう。だから奥歯にものがはさまったような書き方になる。書いてしまえば、映画か小説で「半落ち」をご存じの方々から、「そりゃあひどいワイドショーだねえ」という共感が得られるであろう。

しかし、この話を読んだ後で半落ちを読んだ方は、私と同じで、妻殺しの刑事が何にか
かわることでそこへ行ったのかの部分が途中から分かってしまう。意外性の部分ずいぶんトーンダウンしてしまう。

推理小説の謎解き。落語や漫才で言えば「オチ」である。「半分だけ自供して後の半分は黙秘」というのが小説「半落ち」のタイトルの意味である。このあほバカワイドショーは、「半落ち」の「オチ」の部分を半分ばらしてしまった。

「半オチ」である。

だじゃれを言っている場合じゃない。

しかし、このワイドショーで言っていた社会現象はうなずけるのであった。そしてその社会現象を報道することは、世のため人のためにもいいことであろう。被害者になるのは、その話を聞いてから「半落ち」を読んで謎解きの意外性が半減した人だけである。

それも見方を変えると、小説のおもしろさはやや減少するものの、報道された内容と実際の小説(映画)の内容で、ああなるほどね、確かにその社会現象は起こるのは分かるし、それは世のため人のためにとってもいいことよね、と思える。

筆者も「いつかそのうちに」と思って資料は取り寄せていたけれど、あれま、そういうことならちょっと早いこと実行しないとね、と思った。これは報道だけを観てもそうは思わなかったけれども、「半落ち」を読むことによってそう思ったのである。

ということは、半落ちの読者や映画を観る人が増えるということは、本当に困っている人を助けることにつながる。人一人の生命にかかわる。ということで、読者を増やすために、もうちょっとだけその社会現象を説明しておくことにする。

それは、例えば「献血に行く人が増える」というような社会現象である。

「いいことをしようと思っても、年齢の壁というのもあるんやね」

ということで「半落ち」を読んで「○○○○○」に「○○」しよう!