412話 指揮 1

今日は仕事の予定はなく、一日和歌山である。そして、まことに恵まれたことに、今日は長女も出演する、市内の小学校の合同の合唱・合奏音楽発表会なのである。

会場である市民会館は自宅から徒歩4分。実に手軽である。

大ホールのイスに深々と腰掛けると、まこと得難き「ああ、今日はお休みなのね」気分で爽快である。

前の座席には「元(もと)」音楽担当のM輪先生が座られている。今日発表の曲もわざわざ編曲しなおし、今日の日に向けて11月中全情熱をかけて5年6年の2学年を特訓してきたのである。

しかし運命は非情である。実はM輪先生のお腹には新しい命が宿っているのである。そのことはまことにめでたいことである。しかし、生命誕生となれば「産休」を取らなければならない。生まれてから取ったのでは遅い。「産休」も産前産後で長短を少々ずらすことも可能だと聞いていたM輪先生だったが、教育委員会?(人事権はどこにあるのか良く知らないが)は冷酷である。音楽会本番を数日後に控えたところで無情にも「産休」に強制突入させられてしまった。

したがって、M輪先生は「元」音楽担当の先生、という表記になり、指揮台に上がって子どもたちと演奏する権利はなくなり、客席から見守るだけしかない、ということに至ったのである。

開会には少し遅れていったので、2つほど他の学校の発表を見て、いよいよ我が愛娘の小学校がぞろぞろと入場となった。前の列のM輪先生、もうとても座席には着いていられない。立ち上がってしまっておられる。その全身から「舞台のそでに駆けつけたいのだオーラ」が周囲を圧倒するがごとくむくむくと立ち上っていることに気がついた。

ところが、産休に入ったM輪先生、おそらくふだんは保育所にあずけているのだろう長男の幼子(おさなご)を連れてきていたので、座席から身動きできないのである。家内が「お子さんみてますよ」と声をかけると、M輪先生、「すいません」のあいさつとともに脱兎のごとく舞台袖に瞬間移動された。入場する子どもたちに一声かけてこられたのであろう。また舞台そでから座席に瞬間移動で戻ってこられた。

いよいよ本番開始。その前に出場の小学校よりもはるかにいい。(と書くが、これは圧倒的にひいきの引き倒し的要素が150%ぐらい入っているのだが)その150%を引いてもいい感じである。

おもわず「ええやん」と声が出る。

指揮をしているのは、わずか1週間前に後任として赴任された20代の若い男の先生である。まだ子どもの名前も覚える時間はなかったであろう。(なんせ5・6年合同の70人ほどもいるのだから)はつらつと指揮をして、楽しい演奏・合唱が終わった。ホールの座席に戻ってきた子どもたちも、何か「やりとげた」楽しさがあったし、もちろん前列のM輪先生はあからさまではないけれども、うるうる光線を発していたのは、筆者は見逃していない。

あの指揮台にM輪先生が立っていたら、どう変わっていたのかな。そんなことが頭に浮かんだので、次の学校の指揮の先生も注目してみていた。

ドレスなんぞをお召しになって、確かに「音楽会の指揮をする音楽の先生!」という感じである。

クラシックの著名指揮者なんていうのは、いったい何をどう指揮しているのかは分からないけれど、小学校の音楽の指揮は、楽器のパートごとに合図を送ってはタイミングを「指揮」しているんだ、ということが音楽素人の筆者にもよく分かる。(続く)