414話 エネルギーは通り過ぎる1

整体の技術的なことを書くと、まか不思議な能力でも駆使しているかのような誤解をまねくような、そんな内容も書くことになる。

しかし、賢明なる読者のみなさんに蛇足ながら申し上げる。ちょっとばかり特殊っぽく見える内容だからといって、それでもって筆者を「稀代の名人」であるとか、「超能力的能力(って変な言い方)」の持ち主であるとか誤解してはならない。筆者はふつうのおじさんであり、駆け出しの整体研究者であり、特殊能力っぽく見えるものも全て後天的に訓練によって(血のにじむような恐るべき修行などはしていない)身につけたものである。

昨日書いた最近の気の手当は

> 「相手の身になって、相手の天心に向かって、次なる変化を待つ」
>の愉気というのは、相手に気というエネルギーで「働きかける」方
>法ではない。(結果としてはそうなるとも言えるけど)
>
> 意識が作っている相手との境目を取り去って同調したのち、「ほん
>でどないしたいのん」とひたすら「聞く」だけの方法である。
>(耳で聞かずに手または身体で聞くのだけれど)
>
> すると、例えば相手の身体が勝手にこちらの指に自らを押し当てて
>きて「あ、そうなの、そこをその強さで押さえたら、望ましい変化の
>方向に動き出すわけなのね」とこちらが理解する、
>というような方法である。
>

というようなものである。

先日、東京の同士・山上亮指導員が、そのブログの中で、またまた恐るべき示唆に富む指摘をしていた。

エネルギーという「波」というのは、「通り過ぎることで仕事をする」、という話である。

『そういう性質を持っているから、電気のコンセントには穴が二つで、電気のコードは2本がセットになっているのである。上りと下りがセットになっているのである。その間に例えば電化製品が挟まっていて、電気が通り過ぎる時に仕事をするのである。』

なるほど。確かに。

電気を溜めるだけのバッテリーは何も仕事をしないわな。