424話 適材適所

米国にて理学療法などを10年以上修行して帰国した会員、神戸のS川さんの紹介で、某衣料メーカーの研究所の方々がどやどやと4名道場に来られる。


「にこにこマッサージのコンディショニングウエアへの応用の可能性はいかに」というのがテーマである。


こういう分野への「にこにこ」の応用発展は、河野先生が何年も前から実現したいと常々話されていた内容である。


皮膚表面上の収縮拡張刺激で、運動の質が激変する(要するに動きやすくなる)というのがニコニコマッサージである。皮膚表面上の方向付けだけでそれほど効果が出るならばとテーピングに応用してみたら、これまた恐るべき効果が現出した。


武道的な動きで確かめるなら、テーピングした方の腕だけが「達人化」するのである。



これを「身につけるもの」、スポーツウエアやスパッツのたぐいでできれば便利でいいなあ、という話がミュート内でも出ていた。


数年も前の話である。


しかしながら、心身の健康・身体操作の分野ではプロだからといって、衣料の分野にはど素人である。現状のミュートスタッフが針と糸を持って試作したら、何十年かかるかわからない。


筆者などは家庭科は絶望的に苦手であった。


中学校の家庭科の時間にぞうきんを縫った。家庭科の先生の最初の説明の時点で、糸の末端に結び玉を作れば糸は抜けないということはわかった。しかし縫い進めた結果、残りの糸が短くなった時に、その先端付近の糸の末端に、これまた結び玉を作って一度終了させ、また次の糸で続きを縫う、という理屈は分かったが、どうやればその「結び玉を作るか」が分からなかった。


家庭科の先生の見本は、当時の私には「電光石火の早技」にしか見えず、何をやったのか分からなかった。


そこで筆者は、その分からない部分に遭遇する機会をできるだけ先延ばしにしたいと考えた。そのためには糸を長くすればいいということを思いついた。


そこで針に3メートルぐらいの糸を付た。それでは一気に糸を引っ張れないので、何針が縫い進めて糸をすう〜っと引っ張る際には、隣の席のやつにぬいかけのぞうきんを待たせて、糸をしごいたような気がする。


何針か縫い進めるたびに、席から立ち上がって、横のやつにぞうきんを持たせて、凧揚げのように糸を引っ張るのは、どう考えても非能率だ、ということは分かった。


それにしても、こういう生徒を放置していた中学教育というのは、いったい何を考えているのだろう。凧揚げ方式でぞうきんを縫っている最中に家庭科の教師から注意を受けたり、正しい縫い方の指導を受けた記憶がないのである。


また別の日には自宅でミシンを縫う、という宿題があった。


何を縫う宿題だったかは忘れた。とにかく夕方にミシンの前に座ったのは覚えている。6時以後ではなかった。5時台であろう。


で、


やり始めるやいなや数十秒後に糸がもつれたか、針に糸が通らなかったか、トラブル内容は忘れたが、そういう状況になった。


で、そのもつれがほどけたか、針に糸が通ったか、とにかくそのトラブルが解決した瞬間は夜の10時半だったことだけは覚えている。


いずれにしても、そのもつれだか糸通しだけを一心に、まったく休憩せず、ただひたすらやり5時間ほど続けていたのである。我ながらすばらしい集中力である。


ミシンは居間と続きの廊下に置いてあったので、家事などをしている母親からは目の前に見える位置で中学生の筆者はがんばっていたのである。


飯も食わずにやっていたのは確かだ。


そして


「あ、やっと糸が通ったと思ったら(もつれがほどけたと思ったら)もう5時間もたってたんだ」


と思った記憶は鮮明にある。


すばらしいのはその間の母親の対応である。あきらかに息子がミシン相手にトラブっているにもかかわらず、まったく手を貸すことなく、黙って見守っていた。ちょっと子どもがトラブルとすぐに手が出る口が出るという最近の若い母親は見習うべきであろう。(もしかしたら当時の母親というのはやたら忙しく、息子のことなどまったく眼中になく、息子が晩飯を食っていないのも忘れていただけかもしれないが)


自分で書いておいて言うのも何だが、筆者の発想というのは、徹底的に身内に甘く、外部に(文部省(当時)やら教師)に厳しいということが、こうやって併記して理解された。読者諸兄もそのことをようく踏まえて、このブログとつきあわれると良いと思われる。


いずれにしても、私が針を手にし、ミシンの前に座ったのでは、生涯かけても「にこにこ理論応用ウエア」は日の目を見ることはないであろう。


衣料メーカーの方々が身体調整を研究し腰痛肩こり解消法を追求し、筆者がミシンをかけるのでは世の中少しも良くならないが、逆であればすばらしいものが生まれるかもしれない。


数年後が楽しみである。