426話 今日は私の初日の出 1

16日

今日月曜日も定休である。和歌山で一日を自由に過ごせる日である。


あさちゃんが先週末からのインフルエンザで寝ているため、愛犬「すずな」の朝の散歩係がいない。


と言っても、高熱は昨日の段階ですでに平熱以下となり、食欲もしっかり復活し、熟睡して今朝の段階で平熱に戻っているため、順調に経過したと思われるので、心配はない。しかし、インフルエンザの場合は、病院に行って「治ってまんな」という医師の「終結宣言」を頂かないと学校に行けないので、今日は「元気なんだけれども、外には行けない」日である。


子どもも家内も学校やら家事やら仕事があるため、当然・必然・否も応もなく散歩係は筆者ということになる。


すずちゃんは、朝、家人の起きた気配を感じると、散歩に


「連れてけ、連れてけ、連れてけ、連れてけ、連れてけ、連れてけ、わんわんわん」


と騒ぎ、平穏なご近所にうるさいので、速攻で連れ出さなければならない。ということで、家族が活動を始める6時半に筆者も起床し、すばやく防寒スタイルに身を固め、うんち用ビニール袋などを用意し、散歩に出発。


散歩コースは「自宅から徒歩10分 和歌山城」である。


和歌山市は、紀ノ川が大阪湾に注ぐ西面をのぞけば、南北と東を山に囲まれた平地である。その平地の真ん中に伏虎山という小高い山があり、そこに建てられているのが『和歌山城』である。


和歌山と言えば、紀州紀州藩と言えば、徳川御三家。『松健サンバ』の松平健の演じる暴れん坊将軍徳川吉宗の出身藩である。したがって、非常に立派な城である。天守閣は戦災で焼失し、現在のものは戦後に再建されたものではあるが、小高い山にこんもりとした森を従え、その上に幾層の石垣の城郭を構えて、その上に鎮座している天守閣は、市街地のどこからでも見える、非常におもむきのある素敵な城である。


市街地のどこからでも見える、ということは、城郭の上に上がれば、市街地が容易に見下ろせるということである。景色がいい、ということである。絶景かなということである。


しかし、これは「城」というものの成り立ちを考えるなら、すこぶる当然のことなのである。


江戸時代のお城というものをイメージすると、殿様のおわす「行政府」というイメージがある。しかし、元々幕藩体制というのは、軍事政権の連合体である。
お城というものは、すなわち軍事基地である。そして当時の戦闘というのは、騎馬ならびに徒歩による戦闘である。飛行機は飛ばないし、ミサイルも飛んでこない。戦闘を前提に考えるなら、敵を容易に発見でき、防御しやすいところに軍事要塞を設けるというのは必然である。


和歌山城・城郭から市街地を見下ろせば、和歌山平野の山裾までが一望にできる。そこそこのビルも建ち並ぶ今でさえこれであるから、二階屋さえめずらしかったであろう江戸のころなら、平野中(へいやじゅう)が手に取るように見える、一目瞭然、という景色である。


朝のすがすがしい空気の中、自宅を出でて、和歌山城へと向かう。あまりのすがすがしさに散歩はいつしかジョギングとなり、ランニングとなり、ダッシュとなる。


和歌山城公園手前で、すずちゃんは急停止して脱糞。


朝っぱらからのジョギングによる振動刺激が、腸壁をほどよく刺激するのであろう。筆者も『二の丸広場』公衆便所で脱糞(って俺は犬か)。ますます気分爽快である。


『裏坂』から天守閣の広場まで上っていく。東の空がどんどんと赤みを増している。今日は文字通り雲一つない晴天である。天守閣広場から仰ぎ見ると、北西の空に夜の闇を照らす役目を終えた満月が、下りつつあるところ。その静けさを象徴するような様を眺めつつ一服。広場には縄跳びをする人が一人いるだけ。まこと絶景をほぼ独り占め(正確には二人と一匹占めだが、筆者以外は絶景にまったく感心を払っていないため、実質は独り占めと言ってもいいと思われる)のぜいたくな気分である。(この項、当分続く)