429話 今日は私の初日の出 4

話はまたまた脱線するが、中学校から高校にかけて、大晦日の晩から、友人ら10人以上が集まって毎年、六甲連山から東にぽこっと張り出した死火山が角が削れておわんのようにまるくなった標高300メートル少々の「甲山」に初日の出を見に行っていた。


紅白などを見終わったあとで、今ミュートの活動も手伝ってもらっている劇団Gフォレスタ主宰、演劇プロデューサーの丸尾拓氏の家にどやどやと集まり、現在、北海道は別海町で牧場を営む林博之氏などとともに深夜に自転車で甲山に向かう。校区内で、同級生の男子の家は無視し、かわいい女の子の
家の外を通る時は


「○○子ちゃ〜ん、あけましておめでとう!」

と全員で雄叫びをあげて走るのである。若人のエネルギーというのはこういうものである。


確か、高校2年の時だったと思う。


例年のように寒風吹きすさぶ甲山山頂でがたがた震えながら日の出を待った。しかし、その年は悪天で曇りとは言えないけれども、望む大阪平野の東端、生駒山から信貴山あたりの稜線の上は、雲におおわれていた。新聞に載っていた日の出時刻7時20何分を越えても、いっこうに日の光は見えない。薄く雲が染まるだけである。


300メートル少々と言えども、ふもとから徒歩で登ってきた人ばかりである。この「初日の出拝み」には元手がかかっているから、山頂に集う善男善女はなかなかあきらめない。あの切れ間から日が差さないかと念じながら東南の空を見つめていた。


と。


視線の逆、東北東の市街地の数キロ先、伊丹市あたりからなにやら煙が上がった。


それがどんどんと大きくなった。黒くなってむくむくと立ち上っている。その煙は徐々に大きくなったが、ほどなく小さくなった。これはまさしく火事である。しかし、大事にはいたらず短時間で消火されたものであろう。その後数日の新聞にも載らなかったから、やはり大事にはいたらなかったものと思われる。


その年は結局「甲山山頂」から日の出の瞬間は見られなかったが、火事は見た。


「初火の手」である。


「初」は「初」だが、めでたくも何ともない。元旦早々出火したご家族のお思いはいかばかりか、ぼやで済んだか、死傷者はいないか、と真剣に考えればお気の毒な話である。



「日の出」「朝日」にはパワーはある。これは理屈ではない。朝日を浴びた結果の体験的実感である。

一方「初」そのものにはパワーはない。これは「何となく人間界のルールで初と認定したにすぎない」ものである。それも巧妙に商業的陰謀がその背景にあるものが多い。