430話 今日が私の初日の出 5

元旦には城郭に鈴なりになっていた方々も、今日(1月16日)という絶好の「ビューティフルかつパーフェクト日の出鑑賞デー」を完全に無視している。しかし城郭に人を鈴なりに集める「『元旦』とは何か!問題」を少しつっこんで考えると、実にあやふやなものである。



オリンピックイヤーは「うるう年」に行われる。


うるう年という訳の分からないものがつまりオリンピックと同じ四年に一度ある。


これは「人間が決めた24時間×365日」という一年と、実際の地球という惑星が太陽の周りを回る運行の位置的ずれを是正するために実施されているようである。このお陰でおおむね正月は寒く、お盆は暑い。4月初旬には桜が咲き、11月下旬には紅葉を楽しめる。


4年に一度カレンダーを「一日水増し」しないとどうなるのだろう。うるう年の2月29日は3月1日である。3月1日は3月2日となる。3月31日は4月1日となる。これが毎月ずれていくわけだから、大晦日は実は元旦である。季節よりも「その月」が来るのがだんだん早くなってくる。逆にその季節がやってくるのがだんだんと遅くなる。


4年に一度こういう具合に一日ずれるわけだから

4年×30日分=120年もたつとまるまる一ヶ月ずれる。

120年×6ヶ月分=720年ほどもたつと半年ずれる。


すると夏と冬はキレイにひっくり返る。


クリスマスケーキにはすいかを飾らざるをえず、ケーキのスポンジ部分はアイスクリームに変わるか『クリスマスかき氷』になり、サンタクロースはアロハシャツで真っ黒に日焼けしながら良い子のお家を巡り、煙突でついた「すす」が汗で溶け、全身は黒い汁だらけになり、トナカイの鼻は日焼けで真っ赤になる。山下達郎の「クリスマスイブ」の歌詞は「雨は夜更け過ぎに台風12号に変わるだろう」に変更され、餅つきは食中毒の危険性があるために禁止となり、獅子舞は熱中症で倒れ、お盆の墓参りは雪かきしないと行けず、夏の高校野球は雪合戦と羽子板大会に変更される。


これでは困る。季語と季節はずれ、日本俳句協会は解散せざるを得ないだろうし、文学作品に出てくる季節描写は、いちいちその作品の発表年月の『季節対照表』を参照しないと訳が分からなくなり、大学の文学専攻者を悩ませる。もとの季節感に戻るには1500年ほど待たなければならないが、そのころには前の季節を知る関係者は誰も生き残っていない。


4年に1日カレンダーを水増しして、そのあたりのずれを是正するということは、それらの混乱を回避する有効な方策であろう。


4年で一日でおおむね是正されるということは、1年で考えると毎年4分の1日ずつはずれているということになる。


つまり今年の元旦は去年の元旦よりも4分の1日(=6時間)夏に近いということになる。


来年の元旦は昨年の元旦よりも半日夏に近いということになる。太陽と地球の位置関係におけるある一点を元旦と設定すればそういうことになる。


まだ大晦日だからと安心して夕方6時(日付の変わる6時間前)に大阪の黒門市場和歌山市の七曲り市場で「数の子」と「鏡餅」を買っている間に、昨年元旦として設定した太陽と地球の角度を、すでに通過している、ということにある。


来年になると、昼の12時には昨年の「元旦ポイント」を通過している、ということになる。


しつこいようだが、再来年になると朝の6時に通過である。多くの人が寝ている間に、実は3年前の元旦ポイントは通過している。

「初日の出」とか「初詣」とかありがたがっている元旦とは、冷静にかつ客観的に分析して見るならば、それほどにあやふやなものなのである。あっちへふらふらこっちへふらふらしている。




 ●●12月29日S澤送別会参加者各位にお知らせ●● 


1月4日の当ブログに「M崎@日本古典文学嬢」よりの格調高い宿題コメントが届いております。さかのぼってお読み下さい。


http://d.hatena.ne.jp/meuto/20060104