431話 今日が私の初日の出 6

大村拓也(25歳 仮名)が、大学を出たのに就職するでもなく、あっちのバイト、こっちのバイト、小金が貯まると、バイトも辞めて自室にこもって借りてきたDVDか何かを見たり、テレビゲームなどで時間をつぶしている。父・大村弘一(銀行勤務 48歳 仮名)は、そんな長男の姿にいらいらしている。今日も朝から自室にこもっていた拓也が、ふらふらと昼食に出てきた時に、弘一は思わずどなった。

「拓也、お前いつまでそうやってふらふらしているんだ!」


拓也のふらふらには厳しい弘一だが、元旦がふらふらしていることには実に寛大でおとがめ無しである。


今を去ること数年前、1999年から2000年を迎えるという大晦日。21世紀は2001年スタートであるから、2000年の始まりというのは実は『20世紀を満期にする最後の一年の始まり』に過ぎないのであるが、それではせっかく「2000年」という切りのいい数字なのに、商売に結びつかないじゃないか、と思った誰かの発案でどこからともなく「ミレニアム」という訳の分からない言葉が登場した。

世界各国で「ミレニアム記念イベント&カウントダウンセレモニー」などが行われていたが、筆者は「何のこっちゃ」と冷ややかであった。

だって、21世紀になる瞬間ってわけじゃないし、西暦の2000年が無事満期を迎えたわけでもないもの。


「今日はグランドを20周だ!」っと走り出して、「なんとついに19周だ!」とお祝いするやつはおらんでしょ。


それに西暦のというものだって、ある日都合で「じゃあ、この年を1年ということにしましょうか」と人間の都合で決めた日から何年目というだけの数字とも言える。その「歴」というやつだって、日本も維新前までは「旧暦」だったわけである。

ん、ということは日本史でならった事件の年月日というのは、それぞれ西暦に換算した日付なんだろうか?

赤穂浪士が討ち入りしたのは
「時に元禄15年12月14日、江戸の夜風をふるわせて! 響くは山鹿流儀の陣太鼓」


三波春夫は唄っていたけれど、これは元禄15年が頭についているから旧暦か。


ということは、西暦だと翌年ということじゃないのかな。1月の何日か。だから雪が降っていたんだ。12月半ばは江戸時代でもそうそう雪は降らないでしょう。今年みたいに。


それに太陰暦とかマヤ歴とかいうものもあるから、ある日付に意味を持たせることや、初日を祝うことというのは、実にいい加減でまったく普遍性はないんだ、ということがわかる。


どうも「初」やら「記念すべき」などと冠される諸々のものの裏側には、経済やら商売がうごめく臭いがするのである。お金を儲ける側に都合がいいように喧伝されているように感じるのである。


都合がいいようにするのであれば、そういうお金を儲ける側に都合良くせず、自分に都合良くしてしまえばいい。誰にも迷惑はかけないし、誰の財布からも余分な出費をさせることもない。