432話 今日が私の初日の出 7

1月16日の日の出は、世間的にはただの日の出であろうが、私にとっては今年初めて見る日の出であるから、初日の出と認定してもなんら問題ない。西に満月・東に雲一つない空に出る最上質の日の出であるから、私的には非常に心改まる。心機一転になるとも言える。


元旦そのものだって、前記のようにふらふらとしているし、人間の都合で元旦に決めているだけであるから、筆者としては今日を元旦と設定しても、誰にも迷惑がかからない。


ということで、登る朝日を「私的・元旦」の「個人的・初日の出」に認定して、すずなをかたわらの木につなぐと、全身に日の光を浴びる。


おおお。


なんと気負いのない充実感なのであろうか。ただ浴びるだけでもすばらしい。


ということで、せっかくの精気あふれる霊気あふるる初日の出を浴びるのだからと、河野智聖師より伝授された「やわら心道」の型「全開放」を行う。


最近筆者の身体論の中で、心身のコペルニクス的転換をもたらしている「虚の技法」を用いての「全開放」である。運動の制限をもたらす「こり」や「こわばり」の向こう側にある「虚の中心」に「氣を満たす」ことで「自分が動く」のではなく、身体が「それ」に導かれるがごとく動き、また凝りこわばりが消失していく、という技法を、「仮元旦」の「認定初日の出」に向かって演武するのである。


なんとまあ、心身に充実感をもたらすのであろうか!


同じく、『地力得心』の型を、さらに『天地開閉』の型を行う。


木につながれたたまま散歩を中断されたすずなには気の毒だが、穴でも掘ってもらって時間をつぶしてもらい、せっせと励む。


世に「癒し」の言葉があふれ、「パワースポット」やら「癒しグッズ」などの情報やら商品がそれ系の雑誌などに満載されている。癒しのオイルとかパワーストーンだとか色々あるようである。


筆者はそれらの「スポット」や「グッズ・ツール」を「非科学的だ」「迷信だ」と否定したりはしない。


そういう場所やそういうものは確かにある、という実感は体験的に持つ。が、それらのスポットやグッズのすべてが本物かといえば「そうではない」という実感も体験的に持つ。効果に比して値段が高すぎるものがある、ということもこれまた体験から類推して断定できる。


それらのものが及ぼす効果というものは、「生命を維持できている状態」の上乗せの効果である。


雑誌などを読むと、そのグッズを持つことで誰もがものすごくすばらしい心身の状態になれるがごとく書かれていることが多い。私が今不幸で不調なのは、それを持っていないからだと錯覚させるような文言が書かれていたりする。


よ〜く考えよ〜。


そのグッズを身につけていないために、町中でばたばたと人が息絶えていくならば、筆者はその効果を一点も疑わないであろう。しかし、現実はそういう現象は起きていない。


筆者は、『それがなければ、それこそ町中で人がばたばたと倒れ、息絶えていくパワーを持つ存在』を知っている。スーパーパワーである。超絶エネルギーである。何あろう、


空気と水と食い物である


異論があるなら言って欲しい。息をしないで、のどがからからで、腹がとことん減っていれば、どのようなタフガイだろうと、いかなるパワーストーンやらネックレスやらブレスレットやらを身につけようと、ばたばたと倒れる。


しかし、それを上回る「存在」を筆者は知っている。至高のエネルギーである。


地球上に空気と水と食い物の存在を可能にしている「驚異のハイパーパワー」「超絶的エネルギー」である。


その強大にして慈愛に満ちたエネルギーの前には、誰もがあまねくひれ伏すかというと、そうでもない。


かわいそうなことに、けっこう無視されている。もちろん癒し系雑誌の通信販売や健康法サイトのネット販売では購入できない。


太陽光と引力である。(って書きながら今気づいたのが本当なんだけど)


そうか。そうだったんだね。人はあまりに根本的で根元的で当たり前のことは、あまりありがたがらないようである。(筆者もたった今までそうだった)


訳分からないながら何かとても大事なことだと無意識に感じて使われる「天地人」という言葉も、『光と引力のバランスの中で活かされている人間なんだよ、いいかい、忘れちゃ行けないよ』という意味かもしれないな。


癒し系グッズや健康グッズというものも、そういう根元的エネルギーバランスの上に生命を維持されている前提があって初めて成り立ち、その上での個々人に合ったちょっとした違いに対応するものであると思われる。


どちらかというと、筆者がエネルギースポットだとか、癒し系グッズというものに対して否定はしないけれども、必要不可欠の立ち位置に立たないのは、筆者の関心が、『当たり前すぎてありがたがらない超エネルギー」寄りだったからなんだろうなあ。



いずれにしても16日の朝、月の明かりと日の光の政権交代の場に立ち会い、その2大パワーを全身に受けているのである。そして「天地を結ぶ体感」を練る「心道」の型で引力を感じ、その裏側に潜む虚実を感じていたのである。なるほど、それで


「早起きして、犬と散歩に行って、お日さん拝んで、ついでにちょっと武術の型も久しぶりに練習した」というだけの話が、この一日で連続7日も続く日記まで行ってしまったんだ。


しかし、なんとまあ、心身は清浄化され、気負いのないやる気がみなぎってくることか。

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