439話 オンネンピック

このブログを書いている時点で筆者が得ている情報では、冬季オリンピック日本選手団は、未だ一つのメダルも獲得できず、惨敗やら惜しいところでメダルにかわされる状況が続いているようである。

そうでなくても忙しいのに、真夜中までテレビなんか見てられるかい!と思いつつも「この後、注目の女子スケート 史上最高の最速軍団」などと予告が流れると、ついつい2時3時までテレビの前に座っていたりする。

そういう状況を「日本選手の活躍をテレビの前で応援している」と表現して、違和感を感じる人はいないだろう。もちろん筆者は、等しくすべての日本選手にエールを送り、その勝利を祈願しつつ日本選手の奮戦の様子を見ている。


日本選手が出ている間は。


じゃあ外国選手が出ている間はどうなのか、ということを客観的・冷静に眺めてみたら、実におぞましことに気がついた。


おお、おぞましい。何とおぞましい。


客観視すると、何と我は浅ましき人間なのかとぞっとする。


外国選手の競技中には、筆者は延々とその選手の失敗を念じているのである。特に日本選手がそこそこの記録や点数を出した場合に、その傾向はいっそう強くなる。競っている場合は、ますますそうなる。上位者の失敗が即メダルに手が届く場合などは最高潮に達する。

ハーフパイプからの転落やスピードスケートの転倒、モーグルであればエアの失敗、ジャンプであれば失速、落下。それでも日本選手の敗戦が決定すれば、上位者の競技中のルール違反があっての失格やドーピングによる失格まで頭に浮かぶ。


スポーツの応援というのはなんとおぞましい世界だったんだろう。


要するに「結果だけ」をもとめる心情になってしまうのである。これでは時価総額世界一を実現するためなら手段を選ばすに陥った(と報道では言われている)ホリエモンと同じではないですか。


日本選手の出る時間と諸外国の選手が出る時間を比較すれば、おそらく90%は諸外国の選手の放映時間である。

ということは、私のオリンピック観戦の90%の時間は、相手選手を呪うことに費やしているということになる。


たまたま実家でテレビを見ていてこのことを母に向けると、母もやはり他国選手の失敗を念じていたそである。


親子そろって何の恨みもない他国選手に向けて、せっせと暗黒エネルギーを照射しているのである。おお、これでは我が実家は呪いの館ではないか。


ちなみに、我が国の人口は一億2000万人ほどである。オリンピックの平均視聴率はいかほどかはわからないが、探偵ナイトスクープが深夜枠で放送されて15%をとっていたことを考えると、2%や3%とという数字はないであろう。そこで大幅に下向きに見積もって5%としよう。


我が国の人口の1億2000万人のうち、オリンピックに興味のない赤ちゃん・幼児・超高齢者を引いて、(実は計算しやすいようにだけという理由で)1億人と算定する。


1億人の5%と言えば500万人である。満員の甲子園球場100個分である。深夜にオリンピックを見ようという人間であるからには、当然日本に肩入れをしている視聴者が圧倒的多数であることは間違いない。ということは500万人の人が画面を通して遠くトリノの空に「落ちろ〜」「こけろ〜」「つまづけ〜」というフォースの暗黒・呪いのパワーを念じている、ということになる。


日本では深夜であるが、ヨーロッパ諸国は時差が少ないだろうから、もっと視聴者は増えるであろう。


とうことは数千万、否、億単位の人々が「落ちろ〜」「こけろ〜」「つまづけ〜」というフォースの暗黒・呪いのパワーを念じている、ということになる。


億単位の人間が、一丸となって自国以外の選手の不幸を念ずるのである。


それが朝から晩まで続く。しかも2週間にわたって続く。オリンピックやワールドカップ期間中というのは、地球上に呪いのパワーが充ち満ちていることになる。


オリンピックって平和の祭典でもなんでもないじゃない。でもまあ実際の戦争をするようりはず〜っとず〜っといいとは言える。




では筆者は勝敗がかかるものに関して、常にごひいきの敵方に対して、呪いのエネルギーを照射しているのかというとそうでもない、ということに気がついた。


勝敗を決する「見せ物」ではるが、テレビ番組で「テレビチャンピオン」なんて番組がある。大食い選手権とか親子ポケモン博士選手権なんてのはたいしておもしろくはないが、ペーパークラフト選手権とか、大工さん選手権なんていうのは見応えがある。


そういう番組で見る「職人」さんのすばらしい仕事に対しては、勝敗は二の次三の次。この優れた仕事師たちに、そもそも優勝者と敗者をきめることなどできん。思い上がるなテレビ東京!という気分にさえなる。


職人さんの熟練の技と創意工夫、応用力や対応力を見ると、心が豊かになってくる。


オリンピックは実に単純だ。結局「勝ち負け」が80%ものを言い、後の2割が「テレビ映りが栄えるキャラクター」であるか「感動秘話」を持っているか。


競技の中身の優劣などは、解説者もあまり踏み込まない。今朝スケートの佐野さんが、そのあたりにちょっと踏み込んだ解説をしていて、フィギアスケートを見る手がかりが少しできた。しかし、その他の競技などは、どこがどうすごいのか、たぶんすごいんだろうけれども、さっぱり分からない。やったことがないんだから。


オリンピックの各種競技に対して「見る目」がないのですね。
いい仕事をしているかどうか分からない。


中身が見えないのだから、わかりやすいのはやはり勝敗。なんという軽薄な世界なんだろう。わかりやすけれいいのか、って言いたくなる。


そういう図式が頭の中で明らかになっても、結局「その瞬間が見たい」というので、少しでもメダル獲得の可能性がある選手登場というような時はまた深夜のテレビの前に座ることになるのであろう。

そして、・・・・怨念ピックとなるんだろうなあ。


※業務連絡 ということで下書きを読まれたO丸さん、M本さん、リクエストに応じて人口比例テレビ視聴怨念論を加えました。感想をお寄せ下さい。