447話 天寿を全うした?チューリップ

一週間ほどビンに生けていたチューリップが、勢いをなくしてすっかりお辞儀をしてしまったのが、先週の土曜日のこと。


今までの経験から言って、チューリップちゃんは花が開ききっていない時はそれなりに元気だけれど、花が開いてしばらく経つとふにゅふにゅふにゅと茎の勢いがなくなってお辞儀をする。一度お辞儀をしたら起きてはくれない。


お辞儀をしたチューリップをビンから取り出し、変色してしまった根本を4センチほど切って、水を換えて再び生けてみた。といっても手元にハサミがなかったので、カッターですっぱりやって、水も、飲みかけのコップの水をどぼどぼと入れただけで、ビンの中も洗ってもいないという、はなはだ手抜き方式であった。

茎を切ったと言っても、根本を切ったわけだから、90度以上に曲がった茎の部分はそのままである。


日月曜は道場には行かなかったので、火曜日の朝再び対面。頭を(花を)鏡にもたれさせてぐったりとしている。直角かそれ以上に茎は曲がってしまっている。花はすっかり開ききっており、花びらの端もしおれ始めている。ふつうに考えrば「ご苦労様」とゴミ箱行きである。


その朝はふと思い立って「虚実バランスの身体調整」をチューリップにやってみようと思った。土曜日よりもいくばくか元気なような氣がしたからである。


チューリップを内観して、その「うちなる歪みの方向」を調べてみると、その姿そのままに力無く前屈している。茎の部分を調べてみると、曲がっている部分の花に近い方から順に「力を失って萎えている部分」と「なんとか上半身(?)を引き起こそうと強い緊張をともなっている部分」と「強い前屈傾向とともに腹部(ってチューリップのだけど)の前面に虚の一点を内包している部分」があるのが分かった。


人に対するのとまったく同じに、茎の「実(じつ」=強い緊張のある部分」から腹部全面の「虚」=前屈傾向になるように引っ張っている氣感のある一点に向かって氣を通してみる。


人間であれば、するすると背筋が伸びてこりや緊張が取れるところだけれども、もともと運動はできないチューリップちゃんであるから、感応で感じる「内側のひずみ」が整った感触でもって調整終了。


昼頃にふとみると、あきらかに茎の角度が上がっている。夜のクラスの折りに見たらまたまた微妙に上がっている。

そして水木金の3日が経過。


本日土曜日。茎は斜め45度以上に角度を取り戻していた。茎もそろそろ黄色く変色しかかっているし、花はすっかりしおれているにもかかわらずである。


別に「私には超能力がある!」とういような結論に結びつけようという意図があるわけではない。


最近、人の身体を整える際に、非常に楽に効果が出るようになったメカニズムをそのまま実験してみた、というだけだある。人の身体の自然に整う方向を促進するようなメカニズムであれば、同じく生命を持つ植物にも対応可能かな?って思ったので確かめてみたのである。


今使っている技術というのが、生命に対する効果的なアプローチであるならば・・・、というテストである。


会員のみなさまには、まもなくお手元に届く会報の「虚実について 2」の番外編としてお読み頂ければ幸いである。


それと、このブログは日記を兼ねているので、たとえば1年後の筆者がこれを読んで、その時にどういう感想を持つかによって、その1年の進歩の度合いを確認する材料という意味も持っている。


したがって、道場で受講もされていず、虚実バランスへのアプローチで身体を整える経験の無い多くの読者にとっては、何のことだか分からない今日の一文であろうとは思う。


以上のような意図で書いているものであるので、ご容赦願いたい。