450話 口から出まかせ

昨日のブログにY上くんが、非常に恐縮したコメントを書かれているけれども、なんのなんの、お気遣いなくなのである。

ご遠慮なさるな、なのである。ご安心めされい、なのである。


なぜそう言い切れるのか、というのは、書き出した今は私には定かではないが、書いているうちに「うんうんなるほど」ということになりそうなので、このまま指にまかせて書いてみることにする。


まずは『旧知の仲である』ということが上げられる。・・・・ということを書こうとしたら、「きゅうち」という単語を我がパソコンは「窮地」と変換してしまった。


なるほど、いきなりパソコンから回答が湧いてきた。まことパソコンとは便利な機械である。


窮地の仲である、おっと違った「旧知の仲である」という背景に筆者が何を感じているかというと相互間で、相手を「説得しよう」とか「納得させよう」とか「論破しよう」という意図がまったくない(であろうとこちらは思っている)、ということが上げられる。


お互いのブログやら書いたものを読むと、二人とも「固定した自分ってものって、ないですよね〜」党の党員である。


ということは、固定した「相手」というものもない。


「AはBだ!」という固定筆者に対して固定Y上くんが「いえいえ、AはCですよ」というのであれば、論争にもなろうものである。そういう固定したものがあればこそ、相手を追いつめ、居着かせ、ふん縛って「ええい、言うことを聞け」ということもできようものである。


言い換えれば追いつめることができるのである。つまり「窮地に追い込む」ことが可能である。


しかし、今回、Y上くんは、「なんかいちゃもんつけてしまったうようなコメントを書いてしまって」と再度のコメントを出された。前記の前提が正しければ、本来、こういうことは起こらないはずのものである。


しかし、起こった。


これは筆者が引き起こしてしまったことである。原因は筆者である。


こうやって口からでまかせ(自然に口から出るにまかせるという「固定した自分ってものって、ないですよね〜党党員にとっては非常に魅力的で自然な言葉  ※ちなみに筆者のパソコンはDELLであるので、DELLにまかせているとも言えるっていうのは無責任か?)に書く際には、その話をもっとも興味深く聞いてくれる理想の聞き手を想定している。(Y上くんもそうではないかと思う)


筆者がY上くんのブログを読む際には、Y上くんが理想の聞き手につらつらと語っている内容を、横で「ふんふんそうなの、へえ〜」と聞いているように読んでいる。


Y上くんも同様の読み方をしているのではないか、と仮定する。


すると、冒頭で自分のブログを引用されて、そこから続く話の書き出しが「だからねY上くん・・・」という書き出しででもあれば、「これは僕向けに書いているのね」というこころの準備で読んだであろう。


そうではなかったので、自分のブログの引用部分は話の枕で、それを導入に津田は、津田の理想の聞き手に対して書いているものを「ふんふん」と読んでいたのではないかと思われる。


それが、末尾で唐突に「どうでっしゃろか?」と不意打ちを食らわされた。(ってやったのは私だ)


そうすると、その不意打ちは、Y上くんの心身からいつもの自由さを奪い、「居着かせて」しまったのではないか、と考えられる。


そこで「何で俺はこんな堅苦しい文章を書いてしまったのよ」状態になり、あるいは「女性言葉で書く」などと、文体とスタンスに小さな混乱状態を引き起こしてしまった。ゆえに再コメントを出さないと落ち着かないようになってしまったのではないか。



9行ほど上で「冒頭で自分のブログを引用されて」と打とうとしたら「暴投で自分の」と変換された。



う〜む。


ようするに「旧知の仲」の相手のブログの引用する際に冒頭でしかるべきことわりを一手を入れなかったために「暴投を投げ」て、「窮地」に追い込んだ、と。


DELLにまかせて」書くとそういうことのようである。