455話 非科学的音声データ論

音について思い浮かぶことが今日も続く。

CDよりもさらに小さいMDに録音する際には、さらにカットが進むらしい。(って、昨日以来「らしい」だらけで申し訳ない)


想像すると、こういうことではないだろうか。


モザイク、というものがある。テレビであれば『匿名を条件に証言するA氏(音声は変えてあります』というような場合に顔にかかっており、Hなビデオにおいては水着になっても公衆の面前にはさらさない微妙な部分がややこしい行為をする際にかかっているあれである。


パソコンに取り込んだ写真を画面上でどんどん拡大していくと、その写真は実はモザイクの集合体であることが分かる。


証言するA氏の顔のモザイクのマス目は大きく、A氏の顔はどういう顔なのか、まったく想像はつかない。一方、Hビデオのモザイクはもうすこしマス目は小さくなり、見えるという訳ではないけれども、想像することはできる、というような微妙なラインでしのぎを削っている。(ような気がする)


そのHビデオのモザイクの1マスの大きさを小さくしていくほど、デジタル写真に近くなる。映している対象物に対してモザイクの数が多くなるほど、画面は鮮明となる。しかし、その数が多くなるほど画像データとしては大きくなり、パソコンの容量を圧迫する。以前使っていた筆者の古いパソコンの場合、講義録を作っていてカラー写真などを入れようものなら、あっというまに容量オーバーになりフリーズしてしまったことを思い出す。


「MDに録音する際には、CDからさらにカット」

するのは、ようするに音にモザイクをかけている、ということであろう。あるいは「音声のモザイクのひとマスを大きくする」ということであろうと思われる。(上記の理解を公にすることは、それを読んだ読者に多大な誤解と不利益を与える内容でっせ、ということの場合は、どなたかご指摘下さい。)


そうしないと、カラー写真一枚で簡単にフリーズしてしまった筆者の旧パソコンのようにMDに何曲も治めることができないからであろう。


というふうに、IT縄文人である筆者は理解した。(上記の理解を公にすることは、それを読んだ読者に・・・以下同文)


科学的には間違っていても、雰囲気としては合っている、という強引な前提のもとに話を進めるのである。


快の学校の後の飲み会で、「MDはCDからさらにカットしている」ということを聞いた時に筆者が発言したのは


「だから、一日中ヘッドホンかけて聴いていられるのではないか」


ということである。この発想には少々解説がいる。

続きは明日。