461話 伏せ字による予告編

ブログの更新が空いてしまっている。

決して超多忙で筆者がダウンしたとか、不幸な出来事があって落ち込んで寝込んだとか、そういう状況はまったくない。ご心配なく(って誰も心配していないか)


実はせっせと書きためている原稿さえあるのである。3話か4話分ぐらいに話は書き進んでいる。ところが、それがブログに上げられない。


というのは、その話の発端がある本の引用部分から始まるのである。


こういう本にこれこれこういう話が書いてあったんだけどね、それでね・・・・という具合に話は進んでいく。

書き進んだ先で次々と連想が浮かび、話は終わるどころか、ますますどこへいくのか書いている本人も分からないぐらい紆余曲折してきた。


書きためている原稿の冒頭の部分は、筆者のパソコン内でこういう状況である。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ

ところが、会員のO西さんから、同著の著者である藤原●●先生の「●●」というエッセイ集がおもしろいですよ、というお勧めを頂いた。


筆者が「音」とか「音楽」についてごたごたと書き並べているところから「関連するような話が載ってまっせ」

ということで教えてくださったのであった。

O西さんによると


「何でも、大正時代の日本人は実によく歌を歌っていたらしいんです」


と言われる。


「音楽」とか「歌」という情報に敏感になっていた筆者は、その話に耳がピクンとなり、さっそく買い求めて読んでみた。


話の証言者は「●●●●」という●●人の●●が、●●という本に書いた文章である。


同書によると

●●●●●●●●●

ということだったらしい。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ


ということで、上記ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ線内で●●●で表記されている部分を、その【藤原●●先生の「●●」というエッセイ集】から抜き出して転記すれば、一気に原稿はスタートできる。


ところが、この【藤原●●先生の「●●」というエッセイ集】が、見あたらないのである。見あたらないままに日は過ぎる。

見あたらないけれども、書きたいことは浮かんできたので、とりあえず●●●で書き出したのである。それで見つかったらすぐにブログにアップしようと思っていたら、いっこうに出てこないのである。


こんな下書きを読者のみなさまに何故見せるのか自分でも分からないが、デルにまかせて打っていたらこういう展開になってきた。


また本が見つかり次第にアップするかと思われます。ただし、今までも、けっこう書き進めていて、タイミングが合わずにボツになった原稿も結構あります。



機を外すと、ものごとは回らないようです。