464話 色っぽいさくら

meuto2006-04-09

4月6日

春休みももうじき終わりだ、筆者は休みだ!長男は足を骨折してほとんど出歩けずに冬眠状態で欲求不満だ、ということで子ども3人と犬を一匹を乗せてドライブへ。和歌山市内はいたるところ桜が満開である。


桜どころとしては和歌山城がダントツであるが、徒歩8分ではありがたみがないし、朝夕の「すずな」の散歩の定番コースでもあるので、新鮮みがない。


来年以後の「我が家の花見スポット」を探す意味でも、今回のドライブは重要な意味を持つものであった(?)


出発


おおお。何と満開だらけ。


商店街街路樹も、本町小学校校庭もぼわぼわと花盛りである。


阪和自動車道につながるバイパス道路の沿線も満開である。


びっくりラーメン180円の看板に、はたしてうまいかどうか、というのを親子で真剣に検討しつつ走ると、和歌山刑務所も満開、出島浄水場も満開。国土交通省国道管理出張所も満開、千旦あたりから見る山桜もまた、山肌に「ぼたぼた」と「桜餅」のごとく薄べにの花を咲かせている。紀ノ川沿いに見える「こてっちゃん」のホルモン焼き肉用お肉の看板横の巨木も満開。毎日牛乳も満開。岩出の橋の向こうも満開。焼き肉の「牛太」脇も満開。


以上の記録は、来年3月に見直し、花見コース設定の資料にするべく、運転席で筆者が叫ぶものを、長男のひろが、すばやくメモしていったものである。


ちなみに、再度紀ノ川南側にコースを移し、桃山町に入ると、とたんにまったく桜がなくなり、沿線は「桃」一色となる。ひろメモは「桃満開」の記述と変わる。


ここらの沿道は夏には「桃の直売所」で埋め尽くされる。ちなみにこのあたりはすでに各所で鯉のぼりがはためいていて、いかなる理由か桃山町のみなさまは桜の時期からばしばしと上げるようである。(いつごろから上げるのが正式なのは筆者は知らない。もしかして早くから上げるのが正式なのかもしれない)


桃の桃山町を越えて、紀ノ川沿いにかつらぎ町に入るとここには「かつらぎ町 柿・日本一!!!!」の看板が立っている。紀伊国屋文左衛門から脈々と続くミカン王国和歌山県であるが、その後着々と他果樹へと拡張していったのであろう。


まことにフルーティーな紀ノ川沿線である。


ちなみに、精査をほどこした花見スポットであるが、紀ノ川中州の船岡山という沿道から「吊り橋」でわたって川原でも遊べる、というところが群を抜き、他を圧倒し、ごぼう抜きで、9ゲーム差をつけてプレイオフも圧勝という感じで「来年度花見ドライブ目的地ランキング」の一位を獲得した。


もちろん、今年もそこで弁当を食べ、川原で遊び、春を満喫したのであった。


なんて我が家の花見記録を書くつもりはなかったが、7日に南海電車から山桜を愛でていて「なんでこんなに桜に騒ぐのだろう」ということを考えていたのでついつい関連事項として書いてしまった。


季節限定・短期決戦という要素も大きいと思われる。また草花ではなく「木」である分、満開時のスケールが大きくなる、という要素も大きかろうと思われる。さらに季節的には「決定的に冬が終わった宣言」「もう後戻りはしないからね」というシンボル的にもてはやされる面もありそうである。それに新入生・新入社員歓迎!というような人間側の行事もオーバーラップしている面もあろう。


それらはすべて背景であって、桜そのものの魅力がなければ、世間はそれほどさわぎはしないのではなかろうかと思われる。


で、電車から桜をじっと見たのである。よーく見れば大して華やかではない。


色の鮮やかさで言えば、土手の菜の花やたんぽぽの黄色や、桃の方がよほど自己主張のあるきっぱりとした色使いである。桜色というが、よ〜く見ればほとんど白に近い。何が筆者を引きつけるのであろう。はたまたテレビなどが「桜!」「桜!」と騒ぐので、影響されているだけなのであろうか。しかし、この白っぽいうすピンクには何かひきつけられるものがある。


筆者には、白い無垢なものが、ふと赤みのある方へ、ほんの半歩ほど歩み出したか歩みだそうとした刹那の色に見えた。何かが萌えいずる瞬間である。まだ染まってはいない。


葉の緑が一切じゃまをしないことで一層、その魅力が存分に発揮できている。幹と枝の濃い茶色は引き立て役として格好の地味さ加減である。花とともに葉が茂れば、桜の今の人気はなかろうと思われる。満開からあっというまに葉桜にバトンタッチするが、その時点で騒がれなくなるのも、この微妙な色加減があるからではないだろうか。


桜の花を間近でよーく見てみた。すると花びらなんてのは、ほとんど白であった。そして花の中央の花弁のところが黄色い花粉だけの花と、もう一つ中心から赤さがにじみ出ているのと二種類の花があることを初めて知った。


う〜む。何ともセクシーなのである。


さて来年はいかなる心情で桜を眺めていることやら。