465話 因幡のDNA

「大正時代は歌があふれていてた説」を読んで思いついたことが再度続く。


あふれていた歌というのは、職域やら地域に根ざし、歌い継がれた歌が大半であろうことは容易に想像がつく。だって、テレコもCDもメディアも何もないんだから。労働歌や民謡が盛んに歌われていたのだろう。


民謡などの歌詞を仔細に検討してみると、日常の不満を歌詞で吐き出しているようのものところがある。それはそれで、実に合理的に精神衛生を良くしている機能である。表だって不平不満不足文句非難罵倒罵詈雑言を口にすれば角が立つ。


筆者が学んだ山陰島根県・松江の島根大学の大学祭での記憶。25〜26年前の話である。


前夜祭というクラス・」サークル対抗の素人演芸大会のような催しがあった。学生は日本全国すべての都道府県から集ってはいたけれど(ミニコミをやっていた時に実際に調べた)やはり地元山陰、島根県およびお隣の鳥取県出身者は多い。


おそらくは鳥取県出身者であろう、会場の酔っぱらいからのリクエストがあり一人「貝殻節」を朗々と歌う学生がいた。(歌詞は耳からの記憶なので、けっこういい加減で、当てている漢字も想像である)


♪何の〜 因果で 貝殻こぎぃ 習ろうた 
 【合いの手 1】 かわいやのう かわいやのう

色は黒なぁあぁる 身は痩せぇぇる〜♪

 【合いの手 2】やさお〜えええ おーえやええええ よいやさあのさっさ
            やんさのえええ〜 よいや〜さーぁの さっさ


「民謡による日常の不満を公的に吐き出す」、という話題の前に一度脱線する。


この「貝殻節」の【合いの手 2】の部分で、筆者はその時に鳥肌の立つような感動を味わったのであった。


最初の【合いの手 1】かわいやのう かわいやのう


の際には、鳥取県出身・教育学部体育科研究室所属・柔道部あたりがはりあげるドラ声合いの手+4〜5名、という感じであった。合いの手そのものも短いからそうインパクトがあるわけではなかった。


ところが 【合いの手 2】の部分になると、人文大講堂を埋める酔っぱらい男女学生数百名の点在する各所から「うなり」のような「うねり」のような

やさお〜えええ おーえやええええ よいやさあのさっさ
            やんさのえええ〜 よいや〜さーぁの さっさ

の合いの手大合唱・和的コーラスが湧きだしたのである。筆者はすこぶるびっくりしたのである。


それまでその場には「島大生」が集っているとしか感じていなかった。


ところが、「貝殻節」という「キーワード」「歌声検索」をかけると、「48名の鳥取県民にヒットしました」状態が突如として現れたからである。


そして「同じ学生」としか感じていたなっかった場に突然に朗々と響く【合いの手 2】に乗って「冬は暗くて長く、雪は降るがつもらず溶けることが多く、午前中は凍結し午後からはじゅくじゅく、海は広く、美しく、しかし冬の海は鉛と化し、平地は狭く、『二十世紀梨』とか『砂丘』とか『松葉蟹』と聞くと体が反応してしまい、弁当は忘れても傘は忘れるな、という因幡の国DNA」が脈々と受け継がれている鳥取県エナジーもしくは因幡の国パワーとでもいうものが、突如としてその場にぐわんぐわんぐわんと渦巻いたのである。


その瞬間、人文大講堂の舞台の上に、「わに(さめ)」が横一列横隊に並ぶ上を、ホップステップジャンプする白ウサギが現れ、筆者にウインクをしてふっと消えるのを見た(ような気がする)消えた瞬間にその後でかすかに「がまの穂」がゆれていた(ような気がする)


その土地の歌をその土地の人間が歌う際には、確かにその土地の風が吹く。地域職域に歌い継がれる歌の持つ祭文的パワーを感じたのである。


それは同時に、出身地寄せ集めの住宅地(周辺は田んぼや川やのつぼがある環境でしたが)で幼少期をすごし、そういう地域の伝統のようなものに触れて揺さぶられる機会を持てなかった筆者が、一抹の寂しさを感じた瞬間でもあった。