473話 流れに乗る

今日は今回購入のフォースの宿りし「スルッと関西 3デイチケット」にて1府3県を移動。


確か昨年の冬に一度書いたけれども、3デイチケットというのは、一日約1700円で関西一円の私鉄地下鉄が乗り放題という優れものである。


今日は移動が多い。和歌山の自宅から奈良の生駒の菜畑まで出張に行き、難波に戻って地下鉄・阪急経由で兵庫・尼崎の実家でご近所の皆さまを観て、折り返して大阪市内の道場で夕方数名の方を調整し、夜は南森町のホロンPBIで今日から始まるニコニコタッチセラピーの入門講座をやり、和歌山へ帰るという一日である。

なんせ一日の乗り放題なので、途中梅田のヨドバシカメラ紀伊国屋にも寄って、細々としたかいものなども片づけよう、とますます乗車意欲に拍車がかかる。


時間のこづかい帳作戦は続いているので、細かい用事も可能な限り片づけちゃうんだかんね、という「些細な用事片づけ意欲」にもますます拍車がかかる。


この原稿も生駒〜難波間の近鉄電車の中である。


もともと生駒への出張はもう4〜5年続いていて、パーキンソンで外出のできないご婦人(御年93歳)の方を休日に観ていて、自宅から出てしまえば仕事は一つ増やすのも二つ増やすのも同じということで組み合わせて増やしていったら、上記のようになってしまった。こういうのは休日とは言わないだろう。


こうまで長距離を移動しながら「小仕事」をしていく、というのでは合理的なのか不合理なのか分からないが、やっている本人が楽しいのだからおそらく問題はない。


ましてや、3デイチケットを手にしてしまうと、乗れば乗るほど儲かったような気になるので、長距離移動がまったく気にならない。時間が許せばさらに遠くへ足を伸ばしたいぐらいなものである。


ちなみにお城マニアのひろきに、春休みのこのチケットをプレゼントしてやったら、早朝に和歌山を出発して、なんと姫路城をじっくりと観て、さらに大阪城見物までセットにして夜に帰宅した。時間が許せば岸和田城か二条城も視野に入れていたらしいが、さすがにそこまでは時間が許さなかったらしい。

価格は一日分は1700円ほどだが、彼が遠くに行き、累計運賃金額が高額になればなるほど、親の私としては息子に高額なプレゼントをした気分になれる。紀伊水道から瀬戸内海までぐるっと旅した彼は、なんと親孝行な息子だろう。正規の運賃の3倍以上の距離は使ってくれた。


こういう息子や自分をみて、人というのは、ある一定の方向に突き進んでいくものなのね、ということを改めて実感する。ちょうどいいところで釣り合うというのはなかなか難しい。


節約を始めれば節約に汲々するし、浪費のモードに入れば破綻に向かって突き進む。


これを「流れ」と言ったり、「波」と言ったりする。


体を調える際にも、そういう「波」や「流れ」を使うと全然違うようだ、ということが最近少しだけ見えてきた。


人の心身を変えようとする際に、何でもかんでも元気にする方へ持っていけばいい、というものでもないようだ。休みたがっている体・ゆるみたがっている体は、まずは休める方へゆるめる方へ。動きたがっている体、引き締まりたがっている体は、そちらへ。


そういう波に乗るような流れを観るようなところから始めると、なかなか調子がよろしい。


今朝、観たH谷さん。猫背になって胸やみぞおちを圧縮したような体勢になっている。背中のまんなかあたりの筋肉が硬くこわばって、かつ引き締まりたがっている。その体勢の大もとになっているのが腰椎の3番あたり。

で、「さて、ここからどういうふうにアプローチすれば、この体は引き締まりをきっかけに整っていくのだろうか」と腰椎3番に手を置いて考え始めるやいなや、Hさん「ごほん、ごほん」と咳き込み始めた。


それが、ちょうど背中の中央部のこわばりを瞬間的に緊張させる動きになっている。緊張がながく続けば疲労やこりにつながるけれど、瞬間的な緊張は、逆にゆるみの誘導刺激になる。


断続的に咳き込まれたH谷さん。途中になんとも幸せそうな深い深呼吸をはさんで一分ほどでおさまった。あらためて体勢や虚実を調べると、見事に背中の緊張がゆるんでいる。つい数分前にあった『猫背になって胸やみぞおちを圧縮したような体勢』がものの見事のほとんど消失している。腰までまっすぐに整っている。


筆者が手を出すまでもなかった。なんという賢い体なんだろうか。こちらの手を一切わざらわせることなく見事に自力で整ってしまわれた。


なんか全自動洗濯機のスイッチを入れただけという気分である。


今日のこれはたまたまかもしれないけれど、本当に良くなっていくということは、こういうことなんだろうなあと妙に納得。