487話 佐賀のがばいばあちゃん

島田洋七さんの「さがのがばいばあちゃん」を読む。


神戸サラシャンティのH川さんが、レッスンの後、やにわに手提げ袋から一冊の文庫本を取り出し

「せんせ、これを読みなさい!(きっぱり。まったく断るという選択の余地はないおっしゃり方)人生観変わるよ!せんせが読まれたら奥さんにも読ませなさい(きっぱり。まったく断るという選択の余地はない)奥さんも読んだら、河野先生にもお渡しして下さい」

と断定的に一方的に筆者に命じ、手渡されたのがこの本であった。


しかし、その後の展開としては、神戸から大阪道場に帰るわずかな時間に読み始め、和歌山に帰る電車の中で読了してしまったのであった。

なんば〜和歌山市駅間の泉佐野を越えたあたりで、後半部のドラマチックな「校内マラソン大会のシーン」を迎え、筆者は「たんのわ」あたりの海岸線に向かって感動の涙を流したのであった。

そして、帰宅した筆者は、家内に向かい


「これを読みなさい、なんとしても読みなさい。人生観変わるよ!」


と、H川さんに洗脳された通り(?)のせりふを吐き、家内は真夜中にこんなおもしろいものを手渡されたものだから、それっきり読み終わるまで眠ることができず、寝不足で翌日を迎えることになった。


筆者の島田さんは、あの漫才師B&Bの島田さんである。


がばいというは佐賀弁で「すごい」という意味らしい。実父を原爆症で亡くした洋七は、生活苦のために小学生〜中学生の間佐賀の祖母のところに預けられる。洋七佐賀時代の祖母との思い出をしたためた本である。


島田さんは、「祖母のことを多くの人に知って欲しかった」というのが執筆の動機だと語るが、まさしくこんなおばあちゃんがいたら、世間の人に知って欲しいという気持ちになるのは分かる。すごいばあちゃんである。


佐賀・鍋島藩の藩侯の乳母の家系というおばあちゃんは、おじいちゃんに先立たれた後、女手一つで3学校の掃除婦を掛け持ちで行い、7人の子どもを立派に育て上げた。娘息子があらかた目鼻がついたところでころがりこんできたのが洋七である。


生活は極貧であったが、このおばあちゃんの行動力・実行力・そしてその背景にあるたくましさ、明るさ、卑屈にならないその生き様は、同書に書かれている言行できらきらと読者の胸に飛び込んでくるのである。すでに故人となられた「がばいばあちゃん」であるが、筆者すっかりファンになってしまった。


「本当はお金なんかなくても、気持ち次第で明るく生きられる。
 なぜ断言できるかというと、俺のおばあちゃんがそういう人だったからだ」(プロローグより)


徳間文庫で514円+税 で購入できる。540円で明るく生きられれば、かなりお得だと思う。筆者こころより読者諸兄に一読をお勧めする次第である。



ある学期末の話。


体育はバツグンで、その他の教科はからっきしだめだった洋七は、得意の体育と友人が特訓してくれた数学のみ5で後はほぼ1,2のオンパレードの成績表をばあちゃんに見せる。


「ばあちゃん、1と2ばっかりの成績でごめんね」

とばあちゃんに言うと、

「大丈夫、大丈夫、足したら5になる」

と笑った。

「通知票って足してもいいの?」

と聞くと、今度は真顔で

「人生は総合力!」

と言い切った。


こういう当意即妙含蓄大量珠玉の至言名言金言のオンパレードなのである。



あと30年ほどたったら、こんなじいちゃんになりたい。