506話 勝海舟はご近所さん

meuto2006-09-23

南海なんば駅にあった「和歌山市観光ちらし」の「市内マップ」をちらほらと見ていたら、何と我が家から徒歩5分ほどのところに「勝海舟翁 寓居跡」があるではないか。


勝海舟と言えば、幕臣でありながら明治維新の頭脳的指導者、日本開国の父である。さらに筆者が勝手に師と仰ぐ坂本龍馬の先生である。となれば行って拝まずばなるまいととことこと出かける。


なにゆえに海舟翁が和歌山くんだりまで来られたかというと、加太海峡、友が島のあたりに攘夷のための砲台を築くということになって、その現場監督に来られた時の住まいなのである。


和歌山市駅にほど近いさびれかけた商店街の一角に突如として大きな岩があり、なぜかそこには朝顔が咲いており、その岩をバックに石碑が建っている。


まさしく、ここに100数十年前に勝海舟翁がおられたのである。なんとご近所ではないか。同じご町内と言っても過言でない近さである。とんとんとんからりんの隣組である。


しかし、海舟翁の寓居があったであろう石碑の後は今は「ファミリーショップK」というお店になっている。ギフトショップのように見えて、よく見ると商品というのは「倒産会社の処分品 格安販売」とでもいうようなややほこりをかぶった怪しげ?な品々である。年月が流れるということの意味を考えさせられる風情である。


しかし、勝海舟翁ともなれば、「かつて現場監督をした時にちょこっと住んだだけ」というだけの場所でも史跡になるのである。


20年前に山口県を歩いて旅していた時、(アダルトグッズでふんどしを入手した!の話の数日後ということになる)やはり海岸線沿いのとある峠を越えていたら


「乃木大将が、このあたりに来られた時に、水を飲んで休んだ」という石碑があった。



軍神・乃木大将ともなると、休んだだけで石碑になるのである。


その可能性というのはとてつもなく限りなくゼロに近いが、将来なにかまかり間違って筆者が「歴史上の偉人」になった場合、「ピッコロシアター向かいの大野マンション305号室」なんてのが史跡になるのであろうか。


筆者幼少のみぎり、3軒先の洗濯屋の息子のたかおくんを驚かせようとして、空になった30キロの米袋(このころはセメント袋のような丈夫な紙袋にお米は入っていた)をかぶってお化けのQ太郎に扮して家を出たところ、なぜか水面まで2メートルもある(水深は30センチほど)自宅前の川に落ち(なぜ川岸の30センチのさくを乗り越えたか記憶にない)たのだが、あの川岸にも「○○翁 転落の地」の石碑が建ったりするのだろうか。


さて、自民党総裁選とか「閣僚人事」などが報道をにぎわしているのであるが、100年後の日本人が、史跡に詣でたくなるような方々というのは、いったいどなたなのであろうか。