510話 江戸時代のロールケーキ

meuto2006-09-27

京都のM本さん(テラルネM本さんではない)から

「せんせ、甘いものは平気ですか?」

との問い合わせがあった。


「御大師さまの命日だけに販売されるっていう『どらやき』なんですが、お召し上がりになります?」


一も二もなく、否も応もなく『諾』であり、『歓迎』であり、『楽しみだわん』


とのことで、M本さん受講の日を待つのであった。


しかし、弘法大師と「どらやき」というのが、筆者の脳細胞の中でまったく融合してくれない。


「??◎?△??どら??弘法?●×▲!筆の誤り!焼き!#」状態である。


だってどらやきって小型ホットケーキの間につぶあんのはさまったあれでしょ。




さて、いただいたどらやきというのは、竹の皮に包まれた円柱形の物質である。外見は「ござそうろう」7つまとめ買いぐらいの大きさであるが、手ざわりは一つの個体である。


竹の皮を開けると、もっちりしっとり皮に餡がくるまれた和風ロールケーキが出てきた。



中には江戸時代の薬袋もかくありなんという不思議な赤色の「説明由来書」が入っており、その説明でもって筆者はこの不思議などらやきを理解した。


ここに読者諸兄のみなさまにその由来書きをご披露するものある。



一子相伝 笹屋伊織 代表銘菓 どら焼き

皆様がよくご存知の『どら焼き』とは、その形がお寺の銅鑼に似ていることより、その様に呼ばれるようになったのですが、笹屋伊織の『どら焼き』とは、熱した銅鑼の上で秘伝の皮を焼いたことから、そう名付けられたのです。

江戸時代末期、五代目当主笹屋伊兵衛は、親しくしておりました京都・東寺のお坊さんより、副食となるお菓子を作ってほしいとの依頼を受けました。そこで伊織は、お寺でもお作りできるようと、鉄板のかわりに銅鑼を使うことを考えついたのです。熱した銅鑼の上で焼いた薄皮に、棒状に形作ったこしあんをのせ、くるくると巻き込んだものを竹の皮で包みました。

もっちりとした皮の歯ざわりと程良い甘さ。その美味なること、お坊さんたちだけでなく、たちまちにして町の人々の話題となり、店はてんてこ舞いの有様。しかし、この手間ひまかけた『どら焼き』は簡単に作れるものではありません。そこで困り果てた伊兵衛は、月に一度、弘法大師のご命日の21日だけの限定販売なら、東寺ご参拝のお土産として、町の人々にも味わっていただけるだろうと思いついたのです。


以来、今日に至るまでの130年、吟味を重ねた素材、変わらぬ製法で、代々の当主が秘伝の味を守り続けて参りました。現在では販売期間を3日間に延ばし、毎月20/21/22日とさせていただいております。
時代は移りかわれども、真実の味は変わることなく伝承されているのです。
京菓匠笹屋伊織は、銘菓『どらやき』を通じて古都京都の面影を、皆様にお届けできましたら、なによりの幸せでございます。


          享保年間創業 十代目当主 拝


お店そのものは享保に創業。享保の改革と言えば徳川吉宗だから、そのころにできたお店なんだ。

で、このどらやきは130年前なのね。っていうことは、もしかしたら坂本龍馬も食ったかもしれない。新撰組の面々も21日には並んで食ったかもしれない。

「こら沖田、割り込むな」


「永倉さん、硬いこと言いっこなしですよ」


「五人前に並んでいるのは、長州の桂小五郎じゃないですか」


「げ、西郷がいる」


なんてやっていたのだろうか。


もう何を見ても、頭の中が【 坂本龍馬と仲間達 展 】状態になってしまう昨今の筆者であった。



ところで、お大師様と言えば高野山高野山と言えば

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それにしても、お客さんがわんさか来すぎて困るから、月一回しか売らないようにした、なんてのは、江戸時代と昨今の企業・商店とはずいぶん考え方が違うようです。