532話 反省ざる的大きな便り 完結編
ここまでは「だから何なの」という話である。そうなのである。ここで筆者がドアに鍵をかけて座りさえすれば何も問題もない。世界中からアクセス可能なインターネットで披露するようなネタではない。何らかの悲劇の起こる可能性はほぼゼロに等しい。
鍵があれば。
そう、鍵がないのである。
木製のドアの「その付近」には「最近までねじがねじ込まれていた二つの穴」と「鍵のワクどおりの四角い跡」はあったが、鍵はないのである。上を見ても下を見てもないのである。
考えても見よ。
トイレの『大』ともなれば、誰も好きこのんで出先のトイレでしたいとは思わないであろう。自宅の近所であればなおさらである。自宅に帰ってだれはばかることなく行為に没頭したいと思うことに異を唱える方は少数であろう。自宅まではもちそうもないからやむなく行くのである。しかも個室に入室した時点で、脳の括約筋指令中枢は「弛緩せよ」というシグナルを出しているのである。航空機で言えば滑走路を走って「離陸寸前」という状況である。
もうもとには戻れない・・・
行くしかないではないか。
しかし、ここで前を向いてその行為に集中すれば、このプレートが掲げられるに至った悲劇の再現される確率を飛躍的に高めてしまう。
行為を中断することなく、悲劇を未然に防ぐ方法として、かつ唯一短時間で取れる選択肢として、筆者はとっさに逆方向を向いてしゃがんだ。万一ドアをあけようとする侵入者がいた場合にドアを押さえられるようにするためである。しかし、この個室は不必要に広い。排泄物および放水が「しかるべき場所」におさまる位置に座りながらドアに手を伸ばすと、段差から足先半分をはみ出させた状態で、片手の指先をドアに触れさせるのがやっとである。
片腕を最大限に伸ばしてドアを押さえている情景は【脱糞する反省ザル】であった。
そして筆者の排泄欲求が完全に終了するまで、【反省ザル】は続いたのである。
あのねえ、T屋さん。
【必ず鍵をかけて下さい】というプラスチックのプレートを貼り付ける誠意は分かったから、お願い、鍵をつけてよ。