543話 人体 ちくわ理論 2

meuto2006-10-30

「胃袋の中というのは、体の中か外か?」と言うと、こういう文脈で質問されない限りは、ほとんどの方は、中であると断言されると思われる。その答えが合っているかどうかという問題ではなく、おなかの中(胃袋の中)は体の中だと感じるかどうか、という質問である。


たいていの人は「体の中」という答えに違和感は感じられないであろう。


しかし、空間的に考えると、人体はちくわを立てたものに手足しと頭をくっつけたような構造になっている。ちくわの上の穴が口で、下の穴が肛門である。胃カメラというのはちくわの穴にカメラを突っ込んで盗撮しているわけである。


だから口、食道、胃、腸、肛門と続く管は、たまたまちくわの肉の内側に位置しているけれども、外側の空間とつながっているのである。皮膚の外側である。


そういう筒状のものが人体である。


筒状の衣類、サポーターやレッグウォーマーを考えればわかるが、あの手のものは簡単に表裏をひっくり返すことができる。

人体が限りなく弾力に富み、伸び縮み能力が今の10倍ぐらいあれば、理論的には人体を靴下のように裏返すことは可能である。(が筆者は見たくない)


裏返したからだを観察すれば、口に近いあたりのは、食い物に近い性質のものがきりたんぽのようにくっついて、肛門に近い側にはうんこに近い性質のものがきりたんぽ化していると考えればよい。

そして竹輪の肉壁から消化液が染み出てきて「きりたんぽ」をやわらかくし、その構成物質を砕き、体内に取り入れるのに十分な小ささになったもののみを、体内(竹輪の肉の部分)がしみこんでいく、というようなものが人体である。

裏返せばそうなる。


体の中にあると錯覚しているから、胃袋や腸などは不可思議なことをして精妙に消化してくれているように思うが、胃の中というのは、要するにただのスペースである。消化液や消化酵素などは出るにしても、後はせいぜいうねうねするぐらいしかしようがない。

要するに消化吸収というのは、空間的にはからだの外側で行われているんだ、ということが言いたい。体内(皮膚の内側)に取り入れてから消化しているわけではないのだ。

そして、食物を分解し、人体に吸収可能な形にするのに働いてくれているのが微生物である。私の一部ではない。縁もゆかりもない(かどうかは知らないが)他人(っていうか他微生物)である。(つづく)