546話 川ガキ復活

昨夜は実家に泊まって、今日はそのままそこで午後の6人ほどの方の整体であるので、午前中は余裕がある。


日課になっているトレーニングやら仕事やらのルーチンワークを着々とこなす。


予定をこなしたので、尺八を持ってすぐ横の川へ行き、お稽古。ただいまの課題曲は「ハイファイセット」の「冷たい雨」。現在はこれを毎日2回、心を込めて吹く、というのが最低限のお稽古と決めている。その2曲が終わったので、大滝詠一の「ロングバケーションより選抜」に移る。


日本広しと言えども、七孔尺八で大滝詠一ハイファイセットを練習している輩は、絶滅危惧種よりも少数であろう。筆者はその選ばれし一人なのである(ってそんなやつ他におらんかもしれない)


川の下流の方で川にはいってばちゃばちゃやっている小学生が二人。この川、小生の幼少のころから親しんでいた川である。筆者が小学校のころは毎日のように川や土手で遊んでいたように思う。


その後とっても汚くなって子どもは川から遠ざかった。それからまた何十年かして、行政がせせらぎ親水ゾーン計画」というようなものを立てたのであろう、三本の川が合流する実家の目の前にエックス型の人道橋をかけ、そこから下流には石積みの「自然風にしようとしている」ことが見え透いている明らかに人工的なせせらぎゾーンを作り出した。


それはそれなりに成功したらしく、川の両サイドの道、ならびに川原に無理矢理作った歩道、木道などはお年寄りの散歩を始め、は朝夕「ウォーキング老若男女」)若はほどんどいないかな)のコースとなった。沿道は人がにぎわうが、川からは子どもの姿は消えたままだった。


この夏から、川に子どもの姿を見るようになった。


人口で川原を整備したり、木道をかけたり、庭石のように川の流れに石を配したり、川原を木道が流されないように石(ってけっこう大きいやつ、岩とは言いづらいぐらいの大きなもの)で岸を固めたりしていたのであるが、川だって生き物だから台風や大雨で増水するのは常であるし、年月経つうちに木道だって木が朽ちてくる。

護岸の大石も流れたりずれたり、埋まったり。


人口せせらぎは、どんどん自然な姿に変わっていったのである。だから「いかにも整備しました」というのが表面から消えつつあったのがこの夏頃。すると子どもが川に入るようになったのである。子ども達の感性に拍手!


川ガキ復活である。喜ばしいことしきりである。