589話 「お出まし目安日」と「胎児名」

お産というのは、赤ちゃんを「産む」行為と見るか、赤ちゃんがご自分の要求として出てくる行為と見るのとではどういう差違が現れるのだろう。


もちろん、筆者は「赤ちゃんがご自分の要求としてこの世に出てくる」行為を支持してこの文章を書いている。どうせこのブログは格調高い医学界の論文でもなんでもなく、世間を惑わすために日夜せっせと書いているものなので、筆者側からの論を一方的に展開し、反対するコメントは無視、もしくは削除する、ということも可能なので(ってほとんどコメントもありませんが。だって登場する大半の人とはふだん会ってるんだもん)そのスタンスで貫くことにする。

まずは「予定日」という表現を改めてしまおう。

仮に「お出まし目安日」という言い方はどうであろうか。


予定日というから「遅れちゃって」「早まっちゃって」なんて会話が起こり、一喜一憂する。

ほとんど「一喜」に用いられることはなく、「一憂」、「二憂」、「三憂」も引き起こしていることもあろう。

お出まし目安日というのは、あくまでも人間サイドが一応そのあたりをめどに準備を整えておきますね、という目安日である。いつ出てくるのかというのは、本人がその気になった日でいいんだよ〜ん、ということにしておけば、、「五憂」、「六憂」していた人が、、「二憂」、「三憂」に減少する効果は予想される。


「遅れてまっせ、陣痛促進剤行きましょう ぐわん、ぐわん来まっせ」

ということも避けやすいのではないかと思われる。


おなかにいる間に「胎児名」をつけることをおすすめする。

我が家の長男は「ポコちゃん」、後に「こたろう」に改名する。長女はおなかの中から「あさな」で次女は「きゅうちゃん」

性別には関係ない名前にしておくことがコツである。


名前をつけるとコミュニケーションが取りやすい。


「私の愛しいあ〜かちゃん!」と呼んでいるけれども不自由はないわ、と反論があるかもしれない。しかし、これは自分側からしか見ていない誤解である。


あなたの飼い犬だって名前をつけているはずである。

「おい、犬 こっちへ来い」

とは言っていないはずだ。「しろ」とか「ポチ」とか「すずな」とか呼んでいるはずである。


またあなたに誰か宇宙人の友達が出来たとする。その時に宇宙人の彼が、あなたに最大限の親しみを込めているが

「おい、人間」

と呼ばれるのと、あなたに冠する名前を呼ばれるのと、さらにはファーストネームを「○○ちゃん」などと呼ばれるのとでは違うことは明白である。

犬にだって名前をつけるのであるから、製造責任の一端を負っているその赤ちゃんに、すでに一個の生命は宿っているにもかかわらず、名前をつけないのは片手落ちである。


死んだ後の戒名は坊さんにつけてもらわないといけないし、お支払いする金額でグレードも変わるし、希望する戒名もつけられないし、変更もきかない。


しかし、胎児名はもっともおなかの中にいい響きを感じる名前を自分でつければいいし、坊さんに頼まないでもいいし、会わなくなったら変更もきく(注 その際はかならず胎児と相談して下さい)し、無料だし、役所に届けないでもいい。


いいことづくめである。


名前をつければ呼びたくなる。そうやって独立した一人の人間としておなかの中から扱うのである。もちろん亭主にも呼ばせる。未熟な亭主は、おなかを触って「わっ、動いた」なんてやっているが、生きているものが動くのは当たり前で、これまたあなたがいい気持ちで寝ている時につんつんさわられて寝返り打ったら「わ、動いた」なんて言われても嬉しくとも何ともないのと同じであろう。製造責任の一端を負っている亭主もちゃんと話しかけるべきである。

そうやって赤ちゃんとコミニュケーションを積極的に取りながら、「目安日に向かうのである」

つづく(最近シリーズもんばっかりですね)