592話 13年前の分娩台

分娩台というのは、今の主流は知らないけれども、つい13年前の長男出産の際には、あおむけで大股を開いて、またを開いた足の足裏を乗せる台がついている、というものだった。


3年後の次女の時には、大股開きは同じだけれども、ソファに持たれるような角度のついたものには変わっていた。


大股を開くのは、その方が産みやすいからではない。その方が産科のDrが処置しやすいからである。

筆者、一連の安産話の前提として、出産とは赤ちゃんが出てこようとする行為なのか、母体が赤ちゃんを押し出す行為なのか、というテーマに、赤ちゃんが出てこようとするのを母体がじゃましないようにするにはどういうかかわりがベストか、という観点で眺めている。


しかし、ここでは赤ちゃんが自発的に出てくる、という面にはあえて目をつぶって、母体が排出するという視点でまずは考える。


人体から固体を排出する、というと排便がおなじみである。固体と言い切るには問題があって、やや液体よりではあるが、硬い時には固体と言ってもはばかりない。


それを排泄する際に、いかなる体位をあなたは取るかといえば、基本的にはイスに座るかしゃがむかの二つである。


あなたが、仰向けで大股を開いて、スムーズに固形物がお出ましになるかというテーマでシンプルに分娩台を眺めてみると、妊婦さん側にはまったく立っていないということは明白である。


今、このくだりを新大阪のインターネットカフェで書いているのだけれど、まさに今、もよおしたのである。(ホントです)そして実際にうんうんと排泄するまさにその際に、ほんの少し後に持たれるような体位をとってみるだけで、非常にやりづらく感じるのである。これをさらに床と水平位置まで持っていったのでは、出るものも出ない。


みなさんが夜寝床についた時、「そのまま気張れ」と言われてうまくでるのか、という問題である。体を伸展していると、下腹部には気(意識と言ってもいいですが)は集まらないのである。


人間は、上を向くだけで背中側に意識が集まり、下を向くだけでおなか側に意識が集まるのである。逆に言えば、上を向くだけで腹部には意識は集まらないのである。


たとえばあなたが、斜め45度上を向きながらご飯を食べようとすると、とたんに味気なくなり、食事の愉しみがなくなってしまう。毎度の食事でさえそうである。一生に何回もない、人によっては命がけになる出産という行為の際に、意識が腹部、下腹部に集まらないような姿勢を強制していたのが、かつての分娩台なのであった。